避難者こども健康相談会を振り返って(NEWS No.455 p05)

今回の健康相談会を通して、私は初めて被曝の危険から避難してきているお母さんや子どもたちに出会った。避難者以外にもたくさんの人たちが集まり、情報交換や安否を気遣う「明るい会話」がさまざまなところで生まれている一方で、問診~相談では「暗い会話」があったかもしれない。お母さんや子供のみせる一見明るい表情の裏には、避難してきた人にしかわからない無言の苦しみが伝わってくる。問診のお手伝いをさせていただいて、私自身、感じたことを書き記しておきい。

問診票に必要事項を記入してもらう時にまず感じたのは、お母さんの「疲弊」である。こどもを放射能から守り、移り住んでこられたわけだが、被曝の恐怖、将来の健康への影響、慣れない土地での生活不安、父の不在、子ども生育・発達への影響など母親の心配や苦労は日々絶えない。なかでももっとも母の心身ともに疲弊させるのは「先が見えないこと」だと話されていた方がいた。本当にその通りだと思う。

だから当然、原発をなくすことが不幸な人をこれ以上つくらないことにつながる。放射能による健康被害は作られた不幸であり、本来あってはならない事故の結果である。地震による甚大な被害は自然災害であり、誰のせいにもできない。だが、原発事故、放射能汚染、健康被害は明らかに人災であり、「誰か」の責任である。責任のとれないこと、手に負えないことは即刻やめるべきである。原子力が人間にはもはや制御できないものであることが原発事故ではっきりとした。

それでもなお繁栄や経済成長の名のもとに、原発を稼働させるとすれば、わたしたちは愚かすぎる。

長く親しんできた土地を離れ、縁遠いところに移り住むということ。父親や馴染みの関係のひとたちと別れて暮らすということ。生活のため新しい仕事をみつけないといけないということ。この先も健康被害に脅かされ続けるということ。子供の養育環境がかわるということ。これらすべては放射能汚染のせいである。放射能から逃れられたとしても、その先の実存の過酷さからはのがれることはできない。

誰にとっても、避難してきている人たちの身に起こっている状況は「人ごとではない。あなたたちがそうなっていたかもしれない」。健康相談に来られたお母さんや子供の話や姿から受け取った生のメッセージである。このメッセージをふまえて、さまざまな人が集まって、協力し、情報をシェアし、ともに考え行動する。これがこの健康相談会でなされていたことである。

(精神保健福祉士 舘澤)