浮き雲保健婦ぶーやんの呟き(NEWS No.455 p06)

「また来てなぁ 関西に~」の巻

フリーター保健師に 毎年、春から依頼の入る仕事がある。

「アテンダントナース」である。つまり添乗員の医療職版。

各地の学校の修学旅行やイベント、林間学校などに添乗し 生徒達の健康管理をする。

大阪の学校なら、一緒に各地へ行くのだが、私が主に依頼を受けるのは、関西に来る全国からの学校に、大阪や京都で合流し添乗する仕事である。

東日本からの学校に添乗することが多いが、どこの中学生も高校生も同じ。とにかく可愛い。やること成すこと 保育園児と変わらない?と思うほど…ふざけ合って擦り傷をしたり、ベットで飛び回って落っこちたり、お風呂で風船に水を入れてきて和室の部屋で遊んでいて割れ、布団がビショビショになり廊下で全員正座のペナルティ…など。ヵヮ。゚+.(・∀・)゚+.゚ィィ!! (引率の先生方は、当然 カンカンだが~(笑)
日頃の受験戦争の事を忘れようとしているが如く、はしゃいでいる生徒達。もちろん中には、教員がミーティング中に、参考書を持って質問にやってくる生徒さんも いらっしゃいますが。

そんな中、ある日、宮城県の高校生の修学旅行に添乗。伊丹空港で合流し新大阪から広島へ。安芸の宮島で世界遺産に触れ、瀬戸内を眺めるホテルで宿泊。夕食時 大宴会場の天井までの窓を開け放つと眼下は一面、海。『おぉ~』と言うところだが、数人の生徒が気分不快となった。『?』と思いつつケアしていると、一人がポツリとつぶやいた、「海をみながら食事なんかしたくない…」胸に突き刺さった。そう、津波で親族を無くしていたのだ。翌朝は、朝食時は窓のカーテンを下したままとなった。

その後は、広島の原爆体験の語りを聞いて原爆ドームと平和祈念館へ。ここでも不安定になる学生もいるも、記念館の展示物をどの子も、じっくり読んでいる。3年前は、走って通過する生徒などもいたが、今は、どの子も真剣である。「半径何キロ圏内?」「放射能は、どれぐらい?」…原発事故による被曝の問題と重なり合う。疲れ切った体で 再び新幹線で京都へ向かう。その新幹線内で引率の先生が「今までの修学旅行は、このあと淡路島の阪神大震災記念館を見学していたけど、さすがに生徒たちに負担になると、変更になりまして…」と悲しそうにポツリ。

京都に到着し気分を変えて班別行動で、市内散策。神社仏閣見学よりも、お小遣いを持って、お土産を買う楽しみ。京都の暑さにバテながらも、元気な笑顔でホテルに帰ってくる生徒達。明るく、はしゃぎながらも「どっこも潰れてなかった。」「なんでも売ってた!」「電車動いてた」などの感想。津波で壊滅した地元は、まだまだ復興途上なのだ。同じ日本で、地元との違いを、どう受け止めているのだろう?自宅に帰って家族に、どんなお土産話をするのだろう? それでも、生徒たちは子どもらしく、友達と過ごす修学旅行最後の晩。定番のまくら投げをして、羽枕が破けて、部屋中羽だらけになる事件発生。先生から厳しいお裁きが下り、喘息の子は保健室の私の部屋に、他の子は先生の部屋に寝ることになり、一件落着??? 何年たっても「まくら投げ」は、健在! どれもこれも、いい思い出になってくれることを願うばかり。翌朝は、ぐっすり眠れたのか、また元気にバスに乗り込み、奈良の東大寺へ。でっかい大仏様にも驚きつつ、鹿たちに、癒されたり、鹿せんべいで襲われて!?驚かされたり。初日の海を見た時の暗い表情は、もう見られない。子どもらしい笑顔に包まれた鹿と一緒の集合写真。この子たちは、これから、どんな未来を築きあげていくのだろうか?私たち大人は、何を残してあげられるのだろうか?  伊丹空港での出発ゲートで、生徒達と一人ずつ、ハイタッチで別れを惜しみ、複雑な思いで見送った。「また会えますよう様に。元気でね~」

(保健師 川崎恵子)