いちどくをこの本『双極性障害の時代~マニーからバイポーラーへ』(NEWS No.455 p08)

「双極性障害の時代~マニーからバイポーラーへ」
デイヴィッド・ヒーリー/著
江口重幸/監訳 坂本響子/訳
みすず書房 4000円+税

プロローグは衝撃的な事例で始まる。アレックスは双極性障害と診断され、抗精神病薬で治療中にわずか二歳で急死した!一体なぜこんな惨事が起こるのか?

かつて「躁うつ病」と呼ばれ、まれだった障害が、現在では「双極性障害」(バイポーラー・ディスオーダー)と定義し直され、「蔓延」する背景には、「気分安定剤」の市場拡大を狙う製薬産業のマーケティングと、精神科医療の視線自体の変質がある。

マニー(現代ではマニーあるいは躁病だが、古代にはほぼせん妄を意味した)などの言葉は古代ギリシャ・ローマ時代までさかのぼれるが、「躁うつ病」概念の登場はクレペリンの1899年版教科書まで待ち、当時はまれな病気だった。

主要な気分安定剤であるリチウムは、冷遇の時代を経て1970年に米国で躁病に認可された。リチウムはうつ病を単極性と双極性とに区別しただけでなく、双極性を入院が必要な「双極Ⅰ型障害(BPⅠ)」と入院不要な「双極Ⅱ型障害(BPⅡ)」とに分類を促し、気分障害の概念が拡大した。

双極性障害は1966年に提唱され、1976年にBPⅠとBPⅡとの区別が提言された。1980年発行のDSM-Ⅲ(精神障害の診断統計マニュアル第3版)は双極性概念を定着させた。1890年代から1960年代まで躁病で入院した躁うつ病の新患は人口の0.1%だったのに、リチウム導入後は躁うつ病の有病率は、1985年には1%、1998年には5%とされた。1995年にバルプロ酸が躁病治療薬として認可後は気分安定剤の概念定着と開発、マーケティングが促進された。「気分安定剤」は科学用語でなく宣伝文句ということだ。以後他の抗痙攣剤の気分安定効果が記述され始め、双極性障害の患者数が増加していく。1996年から「小児双極性障害」が提唱された。双極性障害で入院した子どもは1996年から2004年までに5倍に、双極性障害と診断された外来通院の子どもは最高40倍に達した。

イーライ・リリー社は2004年に抗精神病薬ジプレキサが双極性障害の維持療法に認可される前から、プライマリケア医たちに、抗うつ剤が効かないうつ病を双極性障害とみなすように仕向けた。双極性障害かもしれないという理由で二歳の子どもに同薬が与えられ、冒頭の惨事に至った。

製薬企業は病気を売り込むことで薬の売上げを伸ばす戦略をとり、子ども時代の悩みを疾患と解釈するように臨床医や医療消費者の視点を転換させた。2000年には「JAMA」などの主要雑誌に登場するRCT(無作為化比較試験)の75%が製薬企業のスポンサーによるもので、製薬企業が独占するRCTのデータがマーケティングの手段として利用されている。

2013年5月にDSM-5が発行された。双極性障害は「双極性および関連障害」に再編され、概念が拡大し、「うつ病性障害」は悲嘆反応を除外しなくなり、近親者の死を悼んだり、癇癪を起こしたりでもしたらうつ病や双極性障害と診断されかねないと危惧される。

著者は「抗うつ薬の功罪」ですでにSSRIの製薬業界によるマーケティングや自殺との関連を明らかにしているが、本書では我々の通常の悩みや感情さえ病気にしようとする製薬産業と実働部隊の任を負わされている医学界への警戒と反論を提起している。ぜひ一読を。

(いわくら病院 梅田)