IPPNWドイツ支部・ジ-デントプフ医師講演会成功(NEWS No.468 p01)

7月27日大阪、29日京都で、核戦争防止国際医師会議・ドイツ支部(IPPNWドイツ支部)・デルテ・ジーデントプフ医師を招いた講演会-「チェルノブイリから福島まで、放射能は境界線を知らない」が開催され、多くの市民、避難者、科学者の参加で成功しました。医問研は、避難者こども健康相談会おおさか、避難者こども健康相談会きょうとの仲間と共に講演会を主催しました。
デルテ・ジーデントプフさんは、7月26日東京都内で「放射能健診と被ばくしない権利の確立をめざす国際連帯集会」(放射能健康診断100万人署名運動全国実行委員会主催)が開催され、そこにドイツからゲストとして来日されました。原発事故によるチェルノブイリとドイツ・欧州の健康被害を訴えられ、その模様は「放射能汚染-首都圏でも健診を」として7月27日付の東京新聞に掲載されました。
ジ-デントプフ医師は講演の中で、チェルノブイリ事故では、ベラル-シの領土の25%が放射能に汚染され、当時1000万人いた住民のうち1/4に当たる250万人が汚染された土地(3万7000ベクレル/m2以上の汚染)に住んでいます。その結果、様々な健康被害が生じたことを報告されました。甲状腺がんや白血病等のがん、「チェルノブイリ・エイズ」と言われる
免疫の低下、心筋梗塞や脳卒中、高血圧など循環器の病気、形態異常は子供たちへの遺伝での影響・・です。しかしながら、ベルラ-シで生じた健康被害の悲劇のほとんどが隠蔽されていることを報告しました。
国際原子力機関(IAEA)や世界保健機関(WHO)が健康被害はわずかにすぎないと誤魔化しています。ベラル-シでは公的機関も死亡統計を改ざんしたりして事故の影響を小さく見せかけようとしています。
IPPNWドイツ支部をはじめヨ-ロッパの心ある人々は、チェルノブイリ事故後のベラル-シのような厳しい状況の中にあっても、諦めずに未来に希望を持てるように長年健康被害者に寄り添い、支援を続け、被害の実相を明らかにして来られています。ベラル-シの人々と共に歩もうとする連帯の軌跡を報告されました。
今回の講演会は、文字通り「福島とチェルノブイリを結ぶ」役割を果たす集いでした。多くの方の心に響き、明日への勇気を与える内容でした。幅広い人が来場され、遠く金沢や三重、東日本からの参加者もあり、質問も活発にいただきました。質問の多くが、放射能汚染によって将来に生じうる被害にかかわるものでした。そのことはまた、健康診断の重要性をも物語っていました。質疑応答も、あまりの多さに、1/3程度しか返せない盛況ぶりで、関心の高さに驚かされました。
今後、福島をはじめ首都圏を含めた東日本を中心に、甲状腺がんだけでなく様々な健康被害が広範に生じる可能性がある中で、健康被害解明の役割がますます重要になってきたと強く感じる講演会でした。また、今回の講演会は3月の医問研Drのドイツ、ベラル-シ訪問に応えたIPPNWドイツ支部からの協力の一環であり、今後も連帯を強化し、ヨーロッパの民主勢力と力を合わせて健康被害の隠ぺいを許さない日本での運動を高めていきたいと思っています。

たかまつこどもクリニック 高松

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デルテ・ジーデントプフ医師(IPPNWドイツ支部)講演内容紹介(NEWS No.468 p03)

ドイツ語の講演内容を、桂木忍氏と中村健吾氏が日本語訳された文書が資料として前もって配布されていましたので、講演内容の理解を助けられました。「私たちが学んだ、放射能が人間と環境におよぼす危険性について、これから皆さんにお話ししたいと思います」との言葉で始まった講演は90分近いもので、できるだけ多くの事実を伝えたいとの思いが溢れていました。医問研ニュースの読者にとっては既に御存知の事柄とは思いますが、私が「あぁ~、そうなんだ!」と学び直した内容を挙げさせて頂きます。

領土の25%が汚染された「ベラルーシの悲劇のほとんどが隠ぺいされている」理由として
1) 1986年、国際原子力機関(IAEA)事務局長ハンス・ブリックスの発言「核エネルギーの重要性をかんがみると、チェルノブイリ規模の事故が毎年起きたとしても甘受する。直接的な危険性はない」
2) 世界保健機構(WHO)は、チェルノブイリの影響を重大事態だとはみなさず、支援も啓蒙活動も行わず、電離放射線が健康におよぼす影響について何かを公表するときにはIAEAの許可を得なければならないとする協定をIAEAと交わしたこと
3) 1950年代初め、米国のアイゼンハワー大統領が「核の平和利用」を世界に宣言したときに語った言葉「核分裂と核融合の危険性について民衆は知らないままでいさせるように」
4) チェルノブイリ事故当時のソビエト連邦がとっていた秘密保持政策、これは核エネルギーを推進しようとするIAEAなどの国際機関の動向に沿うものだった・・・
これらの事実は福島原発事故による放射能汚染を蒙っている私達の状況にも通ずるものと考えられます。
配布資料「放射能汚染ゾーンの区分」を見ながら、事故から5年後の1991年制定のチェルノブイリ法の説明を聞きました。37~185kBq/㎡の汚染地域・平均実効線量として1mSv未満/年の区域では、特恵的社会経済ステータス付居住地域(住民に対する放射線被害対策医療措置、住民の生活レベル向上のための環境保全、精神ケアサポートが実施される)として、子どもだけが汚染されていない食べ物が与えられ、毎年の保養地での滞在が企画される。1~5mSv/年の区域では、経済的な支援、無償の医療支援、子どもの保養地での滞在実施、学校の周りでは土が入れ替えられ、校庭や砂地の道はアスファルトで覆われたが、農業は続けられたとの事。5mSv/年以上の区域は移住が行われ、立ち入り禁止の看板が立てられ、土地は荒れるにまかされ、この区域は今でも「ゾーン」と呼ばれている。
この説明を聞きながら、日本で「帰還可能」とされている空間線量20mSv/年が法外な放射線量であると再確認しました。
チェルノブイリ原発事故のあと、IPPNWドイツ支部が、原子爆弾に反対するだけでなく、原子力発電所に反対することも自らの課題とすることを決定した理由として、ロシアの物理学者P.L.カピッツァの言葉を借りて、「原子力発電所は電気を作る原子爆弾」だからとの説明がありました。
1942年生まれのジーデントプフ医師ですが、ドイツから7月25日来日、26日東京・27日大阪での疲れも見せず、29日の京都講演でも迫力を感じさせる張りのある声で、使命感あふれた講演を次の言葉で終えられました。「核兵器のない、核エネルギーのない世界をめざし、それを勝ち取るために、私たちに出来ることを一緒に取り組もうではありませんか。
Sayonara Genpatsu!」

小児科医 伊集院