浮雲保健師ぶ~やんの呟き 「心亡くさず…」〜の巻(NEWS No.475 p05)

あの時 生まれた子は 年中組に。
あの時 年長組だった子は、小学校高学年に。あの時の6年生は高校生。あの時の中学3年生は大学生に。
あの時の高校3年生は…

4年。

子どもたちにとっては激動の年月。
東日本大震災から4年が経過した。
福島県から 東日本から 避難してきた子どもたち それぞれの成長。
母子避難して4年を経過し 子どもの進学のために悩み 考え 関西に留まることに決めた親子。反対に入学のために家に帰る親子。関西に避難してきたが 子供だけが東日本に進学を決め兄弟もバラバラになった親子。母子避難によって経済的にも精神的にも追い詰められ 子どもが望むような進学を叶えてあげられないかも知れない不安に迫られている親子。避難先の学校に馴染めず、帰ることを望む子に何も言えず迷っている親子。
各地に避難していても 福島に帰っても放射能被曝による健康への影響に神経を尖らせて生活し続けなければならないという不安も続く。
それぞれに様々な選択・決断がされ 次の5年目を迎える。
おそらく6年目も7年目も、その後何十年も 様々な選択を迫られるのだろう。
「20年後 この子たちは 健やかに生きているのだろうか?」
になってしまった親が 何故居るのだろう?
関西でたくさんのママたちと日々関わっている。
同じように子どもの成長を見守りながら4年を経過してきた。
今は 入学入園準備に勤しんでいる3月。
「生きている」喜び「生かされている」意味など考えることもなく 日々暮らしている。
どの親も我が子が、元気に生まれてきてくれることだけを望んでいたはずなのに いつの間にか 元気なのは「当たり前」になり 感謝すること無く『こうなってほしい』『あーなってほしい』と どんどん要望が増えていく。
「普通」の基準が 上がっていく、今この時が ず~っと 続くと信じて疑わず。
被災した家族も、震災前は 関西の親子と同じだったかもしれない。
日々の生活に追われて 震災の記憶も 当事者以外は薄れていく。
阪神大震災 4年後の復興は 少なくとも表面上は目覚ましいものであった。そのためか東北も復興していると思ってしまって、被災地、被災者への思いも薄れつつある。
しかし、放射能被害などの話を聞くと、真剣に耳を傾け 『今同じようになれば…』『自分たちにできる事は…?』等と考え、決して忘れているのではなく 情報が少なすぎるため身近に感じられなくなっているだけなのだ。
「忘れる」事は、心が亡くなる事。忘れるのではなく いつでも何十年も「想う」心を持って 子育てしていけないものだろうか?
2015.4.26 ドーンセンターにて
「避難者こども健康相談会おおさか」
川崎恵子