くすりのコラム 医療事故調査制度の行方(NEWS No.475 p08)

昨年6月に成立した医療事故調査制度の施行を10月に控え、その具体的な指針づくりが進められています。制度は医療事故が発生した医療機関において院内調査を行い、その調査報告を民間の第三者機関が収集・分析し再発防止につなげるための調査の仕組み等を、医療法に位置づけ、医療の安全を確保するものと厚生労働省のHPに書かれています。さて現在考えられている仕組みで十分な機能を果たすのでしょうか?
私は間違った薬を患者さんに渡したことがあります。患者さんの家までお詫びに伺ったとき、患者さんから労いの言葉をかけてもらいました。申し訳ない気持ちとともに、怒られるのではないかと怯えた自分がとても恥ずかしくなりました。もし命に関わる重大な間違いであったら、どうなったでしょう?医療事故がどういうものなのか学校教育では教えられていません。社会にでて職場で「報告・連絡・相談」といったビジネスの基本を守って行動することが正しい行いを促してくれるとも限りません。医療事故を学ぶ機会を探し本を読み自分の経験を反芻していますが、私は重大な事故を起こしたとき正しい行動ができるのか自信がありません。
以前、医師の些細な過ちについて患者さんから相談されたことがありました。医師が初めついた「小さな嘘」は引き返せない「大きな嘘」になり事故は「過ち」ではなく「罪」になりました。薬局では上司から医師の嘘に合わせた言動を求められました。もちろん、そのような指示に従うことはありませんが、患者さんは医師から納得のいく謝罪もなく行き場を失った怒りを抱えて去っていきました。一方、医療機関では本来改善すべきシステムが放置されたままになりました。これがもし大きな事故だった場合、医療事故調査の報告をこの医療機関が公正にできるとは到底考えられません。「医療事故調査制度の施行に係る検討会」の議事録には医療機関が恣意的に運用できるよう、指針にぬけ穴を作ろうとする発言が多く見られます。24人いる委員のほとんどが医療関係者という不公平な構成で制度作りが進められています。医療事故遺族である構成委員の正しい主張にだれも賛同しない様子からは、この検討会が一部の構成員の独裁的な雰囲気の中で進められているのが分かります。
少し前まで医師からもらった薬の名前すらわからない時代がありました。
医院で誤薬が疑われる薬を渡されても何の薬か聞けなかったエピソードを私の母はつい昨日のように話します。1985年以降「医者からもらった薬がわかる本」が発行され母は錠剤の小さな刻印をみて何の薬か調べるようになりました。私は医療関係者ですが医療を安全に受けたいと願う母に育てられました。医療従事者は医療を受ける側でもあります。医療安全は全ての人のためにあります。私が重大な事故を起こし、いつまでも押収されない証拠や身内の捜査官に囲まれた時に正しい行動ができるのか本当に自信がありません。医療事故の問題だけでなく、日本の医療は最高だと嘘をつかせる構造は医療従事者の心を蝕んでいると感じます。「医療事故調査制度」は公正に運用されなければいけません。
薬剤師 小林