菅谷松本市長講演(4/7大阪小児科学会セミナー)を聞いて(NEWS No.512 p06)

4月7日、大阪小児科学会・地域医療委員会主催の第9回「低線量被ばくを考えるセミナー」が開催されました。
講師は長野県松本市長の菅谷 昭(すげのや あきら)氏で、「原子力災害による放射線被曝の長期的課題―チェルノブイリ原発事故医療支援の経験を通して―」と題して講演されました。

松本市ホームページには「市長プロフィール」が公開されています。菅谷氏は、1986年の原発事故により放射性物質汚染を受けたベラルーシ共和国での医療支援活動に甲状腺外科医として1991年1月から参加、1996年1月からは現地に滞在して、2001年6月まで主に小児甲状腺がんの外科治療に尽力されました。
(帰国後は長野県衛生部に所属、2004年3月より松本市長に就任、現在4期目。)

「小児の甲状腺がんは少ない」との認識で、1991年に首都ミンスクの国立甲状腺ガンセンターを訪問したとき「ゾロゾロ出てきた」小児甲状腺がん患者に出会いビックリしたことにまず言及されました。その時点では、事故後の5年は潜伏期と考えていたが、組織的な検査体制を確立したのが事故後4、5年目だったことを後に知り、「潜伏期」との判断は誤りだったと述べられました。

福島原発事故の翌年(2012年)とチェルノブイリ原発事故後30年(2016年)にはベラルーシの汚染地域への視察に行かれています。居住禁止区域であったゴメリ州ペトカ地区は除染もされたが効果はないので中止。26年、30年経っても「今もって『進入禁止』の表示」「高度放射能汚染区域につき立ち入り禁止」、道路脇の空間放射線量は0.4μSv/hrで「まだまだ高い」との言葉。私は、0.4μSv/hrは年間では3.5mSv、日本の20mSv基準の異常な高さを認識し続けないと、と感じました。また、環境汚染の重大性を指摘された後、山野の多い福島での除染は困難性があるとのことでした。

小児期に菅谷氏の手術を受け、無事、母親となった3人の女性との再会を嬉しく思ったとの感想を交えながらも、事故後30年を経た住民の健康被害・「低濃度汚染地域における現状」について、ボランティアグループ「チェルノブイリの子どもたちを救う会」の医師や、ゴメリ州立保健局の医師からの情報紹介がありました。非がん性疾患や周産期異常の増加が明らかになっており、汚染地域居住の子どもに対し、国による年2回の定期健診を継続し、毎年1カ月間の非汚染地での保養を実施しているとのことでした。「国家は人々に対して背を向けてはいけません」との保健局長の言葉を紹介して、「果たして日本は一体どうでしょうか」とのコメントがありました。

スライド「福島原発事故後の今とこれからを考える」には、甲状腺がんについて「現時点で原因を特定することはむずかしい・今後の経過を注視していくことが大切(疫学的事実の集積が必要)」と書かれていました。なお、セミナー参加者に配布された資料にあったインタビュー記事の中では、「常識的に考えれば、福島は原発事故が原因と推定しても不思議はないかもしれませんね」との発言が掲載されていました。非がん性疾患に関しては、「長期的・持続的低線量被曝の影響を注視・チェルノブイリ事故後の現状を考慮しての対応策が不可欠・検査結果の公表を強く願う」と述べられました。

「終りに:私の小さなつぶやき」では「チェルノブイリ事故後の汚染地の現状を教訓にして、(中略)子どもたちの未来を守るためこの国難に立ち向かう時が到来しているのではないでしょうか」と訴えられ、真摯なお人柄を感じました。

小児科医・伊集院