11月号の『教育現場での子どもの診断には細心の注意を 「自閉スペクトラム症」』の記事に関しての所感(NEWS No.557 p07)

児童精神医学に詳しくないので適切な指摘になるかどうか心許ないのですが、11月号の『教育現場での子どもの診断には細心の注意を「自閉スペクトラム症」』の記事で、入江さんの記述によると、自閉症スペクトラム(自閉スペクトラム症、ASD)は詳細不明だが器質性脳疾患だと読み取れます。

疾患と捉えるなら早期診断、早期治療という昨今の医療化の流れに呑み込まれると危惧します。

ASDは、世界の精神科医療の共通言語であるDSM-5(米国精神医学会による精神疾患の診断統計マニュアル第5版)でもICD-10(WHOによる国際疾病分類第10版)や来るべきICD-11でも精神障害に分類されますが、統合失調症や気分障害(DSM-5では抑うつ障害群と双極性障害および関連障害群とに分離独立)のような精神疾患というよりは障害であり、おもに特徴的な行動特性で定義されるカテゴリーです。

自閉症概念については、1943年にカナーが早期幼児自閉症を定義しましたが、当初は不適切な子育てが自閉症を生むという心因論説が、1960年代からは脳局在論的な仮説が次々登場しましたが、いずれも否定されています。

1981年に英国の児童精神科医ウィングが自閉症スペクトラム概念を提唱しています。ウィングは医師、教師や特に親に向けての啓蒙を書き続けていますが、自閉症心因論からくる親へのいわれなき批判への対抗でした。ウィングの提唱した①対人交流の障害、②言語発達の異常、③反復的情動行為の三つ組み徴候が、DSMやICDも含めて世界的に受け入れられている自閉症の診断基準となっています。DSM-ⅣからDSM-5に大改訂される際に①と②が一本化されています。

ASD概念は臨床的には有用で、自閉症児を社会福祉の対象にするという役割も担いました。一方で、自閉症者と定型発達者との境界を曖昧にして、非社会性を帯びた児童や個人をASDに取り込むという事態が深化する事態にもなってしまっているのが現状です。また、取り扱いにくい子どもを排除する社会が自閉症概念に「有用性」を見出していると言えます。

本来、診断や見立ての意義は、薬物治療を含む治療への導入が第一義ではなく、当事者の発達特性を把握して、当事者が自身の生きづらさを軽減する、周囲も当事者の特性を理解して当事者が生きやすいように支援するための手段であるべきです。もっとも、診断分類だけでは診断に値せずに、現状の支援の度合を含む環境因子の評価も入れてようやく治療や支援に取り組めるのだと弁えるべきです。しかし、実態は、保育や教育の現場ではASD当事者に烙印を押して排除する流れのようです。ASDを有するだけでは治療対象でなく、二次障害としてうつ症状などの気分障害や自他への影響が大きい逸脱行動、精神病的言動で混乱が強まれば治療対象になりえます。

ASDの診断手法に関して考えを述べます。入江さんは、「心身機能の損傷の正確な測定が現段階では不可能で、疾患としての本体が不明なまま、行動症状での定義となっています」と記述されています。実情はその通りですが、現状ではASDも含めて精神障害については操作的手法を用いざるを得ません。

操作的診断基準は、検査法がなく、臨床症状に依存して診断せざるを得ない精神疾患に対し、信頼性の高い診断を与えるために、明確な基準を設けた診断基準です。現時点では一定の有用性があります。DSM診断などに加えて心理検査や学校での振舞いなども含めて評価して診断につなげるのが通常です。

精神障害を含む障害について、個人の要因と環境要因との相互作用をして捉えるICF(「国際生活機能分類)は、当事者の特性や必要な支援と環境の問題を評価していく際に参考になりますが、医学的診断とは相互補完的であり、臨床と社会的支援との領域で使い分けるのがよさそうです。

梅田