いちどくを この本『ふくしま原発作業員日誌─イチエフの真実、9年間の記録』(NEWS No.560 p07)

『ふくしま原発作業員日誌
イチエフの真実、9年間の記録』
東京新聞記者 片山夏子 著
朝日新聞出版 1,700円+税
2020年2月刊行

2011年3月11日東北地方太平洋沖地震発生当時、著者は中日新聞名古屋社会部所属でした。

発生翌日には東京の経済産業省記者クラブへ。

東京電力や原子力安全・保安院を取材することになります。その後、中日新聞東京本社(「東京新聞」)社会部へ異動となり、同8月より原発班担当者として「福島第一原発でどんな人が働いているのか。作業員の横顔がわかるよう」な取材を目指して「ほとんど取材先のあてもないまま」福島県いわき市に向かいます。

このようにして始まった取材活動を通じて「ふくしま作業員日誌」が’11年8月から’19年10月まで東京新聞に連載されます。長期にわたった連載記事に大幅加筆・一部修正の上、本書は2020年2月の上梓となります。すでに「週刊MDS(www.mdsweb.jp/weekly.html)」の紙上でも紹介されていたので、医問研ニュース読者の中には読了された方も多いとは思います。

しかしイチエフ(福島第一原発)事故現場で働く人々が「報道取材に対する箝口令の厳しく」なる中でも発せられた言葉は、この大惨事を「見ざる聞かざる言わざる」状態に強いられている私たちへの警告とも考えられるので、より多くの人々に読んで頂きたく紹介します。

巻頭に、「福島第一原子力発電所 構内図」「原子炉+タービン建屋図」「汚染水をめぐる構図(俯瞰図・断面図・説明文)」があり、本文の理解を助けます。序章では、1、2、3号機の水素爆発によって放射能汚染に陥った現場の状況と「不眠不休で危機に向き合った作業員たち」を報告。本書の枠組みを「作業員の人柄や日常の様子が読者に生き生きと伝わる」ように、「一人ひとりの作業員が語った『日誌』という形をとろうと決まった」ことなど。

以下、各章の題目を紹介します。

1章 原発作業員になった理由・・・2011年
2章 作業員の被ばく隠し・・・2012年
3章 途方もない汚染水・・・2013年
4章 安全二の次、死傷事故多発・・・2014年
5章 作業員のがん発症と労災・・・2015年
6章 東電への支援額、天井しらず・・2016年
7章 イチエフでトヨタ式コストダウン・・・2017年
8章 進まぬ作業員の被ばく調査・・・2018年
9章 終わらない「福島第一原発事故」・・・2019

延べ87名に及ぶ作業員の「日誌」には、内容を象徴する小題、愛称のような呼び名(~さん)と年齢が付記されています。

また「日誌」の背景として、インタビューがなされた時期のイチエフの放射線量、主たる工程や重装備での作業の現状、線量計には反映されない作業員の被ばく実態・労働時間、「事故収束宣言(‘11年12月)」・「アンダーコントロール発言(‘13年9月)」・五輪開催など政府の施策そして多重下請け構造のトップにあり、また柏崎刈羽原発の再稼働を目指す東京電力の都合によって、作業を急がされたり仕事の受注がなくなったり、危険手当が減ったり解雇されたりと翻弄される労働条件など・・・読み進めるのが辛く感じる記述が続きます。

原発作業員の(外部)被ばく線量限度は「電離放射線障害防止規則」にて、通常時「1年間で50mSv」「5年間で100mSv」、緊急時「100mSv」と決められていましたが、政府は爆発後の3月15日に作業員を確保するため、特例(注)として「緊急時250mSv」に引き上げました。(注)’16年4月1日からは「法令」として決定されています。

ところが、同年12月現場の作業実態を反映しない突然の「事故収束宣言」で「通常作業」となり、「賃金や危険手当が下がり、宿泊費や食費など諸経費がカットされ」「作業員の待遇が急速に悪化」していきます。また5年間に至らずに被ばく線量限度を超えた場合は仕事場から離れる「解雇」につながり、新たな5年間で線量の「初期化・リセット」を得るまでは自分で仕事を探すことになり、雇用の不安定さはほとんど放置されています。

作業員での放射線被ばく障害の生涯にわたる調査と補償が必要なのは当然ですが、放射線影響研究所(放影研)が担っている国の疫学調査は’11年12月16日発表の「事故収束宣言」までの「緊急作業」に従事した作業員(約2万人)に限っており、実際に検診を受けているのは2割程度です。

「検査で病気が見つかっても、治療費も生活費も何の補償もない。」との作業員の言葉がありました。

伊集院