原発事故 覚めやらぬ悪夢と蜘蛛の糸 (NEWS No.562 p06)

原発事故発災から11年。東京電力ホールディングス株式会社の設置した福島第1原子力発電所内外で、放射線量の高いところもあり、復興はまだまだ進まずといった状態です。

さて私は、原発事故により福島県南相馬市より京都への避難した福島敦子です。原発賠償京都訴訟原告団共同代表、大飯原発差止京都訴訟世話人、伊方原発差止広島裁判原告として、国、東電の責任や原発の在り方など裁判を通して民意に訴えています。最近は関西でも地震が頻発し原発事故を想起することがあるでしょう。

避難者たちはこの11年間、悪夢覚めやらぬ思いで日々を過ごしています。今回は、原発賠償京都訴訟の近況から見えてくる国と東電(あるいは東電のみ)を相手取り提訴している全国の30もの訴訟団とのこれからを記したいと思います。

私が福島県南相馬市から京都へ小学生の娘2人と一緒に避難したのは、2011年4月。南相馬市には、原発事故により避難指示が出された地域があり、当時約7万人だった人口は一時期1万人台へと落ち込むこととなります。南相馬市内にとどまった市民のうち避難所にいた方々は、物資が届かず1日に1個のおにぎりが食べられるかどうかの生活が続いていたと聞きます。震災当時は、東日本全体でもコンビニやガソリンスタンドに長蛇の列ができるほど物不足の状態でした。原発賠償京都訴訟の原告のほとんどが避難指示など出なかった地域の住民であり、放射線被害について徹底的に調べ、勇気ある意思と行動力で京都へと避難してきました。そして国と東電を相手に提訴したのです。

2018年3月に一審判決が出され、原告側一部勝訴となりました。放射性物質による内部被ばくの影響を考慮した判断が正しく認定されたわけではなく、避難同伴の子どもの訴えは棄却され、避難の期間も地域も限定された判決内容でした。よって大阪高裁での控訴審は、放射性物質による健康被害から逃れるための「避難の困難さを少しでも可視化できるよう」努力に努力を重ねた内容になっています。

たとえば、2019年夏に原告の陳述書の分析とPTSDのスクリーニング手法として確立されている「改訂出来事インパクト尺度」を組み込んだストレスアンケート調査が実施され、結果が控訴審の証拠として提出されました。(「原発事故避難者はどう生きてきたか 破傷性の人類学 竹沢尚一郎 東信堂」に詳しい)原告とりわけ子どもたちの異変はひどく、体調変化があったのは58.5%、79.7%に放射能の影響と考えられる症状がみられていることなどが証拠として提出されています。また、当時大阪大学医学系研究科本行忠志教授の意見書も提出され、放射線感受性には個人差があること特に年齢が若いほど放射線感受性が高く強い影響を受ける、生物学的半減期、しきい値についてなどを詳細に書いてくださっています。(http://fukushimakyoto.namaste.jp/shien_kyoto/pdf/20191109hongyouikensho.pdf

また、3月の控訴審期日には避難時子どもだった若者のお話会が催され、6月の控訴審では当時大学生になる時期に家族とともに避難する形になった原告の意見陳述が行われ、子どもたちが原発事故に向き合うことが多くなってきました。

そして、6月17日に出された最高裁判決について触れます。これは、千葉、群馬、福島、愛媛の4訴訟の最高裁における初の統一判断が下されたもので、「予測できた津波よりも東日本大震災の津波の方が巨大で、当時の技術や知見では事故が防げるわけない」と乱暴に結論付ける判決でした。

3訴訟の控訴審で国に責任があると判断された結果は覆され、国の不始末は「不問」になりました。原発事故からの悪夢は続く…。

ところが、望みはあります。「蜘蛛の糸」は目の前にたらされています。それは、最高裁の判断を下した4人の裁判官のうちただ1人反対意見を出した三浦守裁判官のその内容です。判決内容のうち実に半分以上のボリュームでもって国、経済産業大臣の規制権限の不行使は違法と明文化、津波の想定に当たっては最新の科学的、専門技術的な知見に基づき…発生する可能性がある津波を適切に評価すべき、と「長期評価」での試算と、平成4年伊方判決での「災害が万が一にも起こらないように」を引用踏襲しています。

全国の訴訟団とともに引き続き原発事故の原因究明、責任の追求と同時に事故被害者全員の救済と完全賠償、施策の転換を国へ求めるため、この「蜘蛛の糸」をたぐり全力でのぼります。今後もどうか応援のほどよろしくお願いします。

福島敦子