2011年3月11日の東日本大震災により発災した福島第一原子力発電所の炉心溶融事故からまた卯年がめぐってきました。卯年とは、閉じていた門が開き「飛び出る」、祭りごとの際に生贄として捧げる肉を二つに切り裂いた形から出来た「分ける(区切る)」という意味に、動物の「兎」をあてたとされています。エネルギー政策の見直しが議論されるきっかけとなってから12年が経ち、この世の中は本当に変化したでしょうか。
国・県が避難者への「みなし仮設住宅」の無償提供を2017年3月末で打ち切る政策をとった後に転居を強いられた避難者たち。私たち親子は、京田辺市にて三度目の避難生活を始め、少しずつ地に足が着くようになってきました。上の娘は社会人に、下の娘は、大学生になるほど時間は過ぎています。
避難者たちは健康問題や住宅問題などで闘う中、疲弊し、声も出せなくなっている人が増えました。しかし最近は風向きが変わってきました。それは、バイバイ原発きょうと2023で登壇した賠償訴訟原告のうち、当時子どもたちだった原告が多数参加して発言してくれたこと。京都の大学院生が中心になり原発事故に向き合い活動するチームの姿があるからです。
当時の子どもたちが、原発事故が起きてどう大人たちの話を聞いていたか。ニュースに触れ、友人たちとどう考えてきたか。子どもたちは、成長する過程で、「言葉」にし、それを「形」にしようと模索し始めています。原発から作られた電気の恩恵を受け、経済の発展の名のもとに大量消費生活にどっぷりと浸かってきた大人の一人として大変複雑な心地ではありますが、少しでも早い「福島第一原発事故の解決」を子どもたちとも一緒に達成できたらよいと思います。
2013年9月に提訴した原発賠償訴訟原告団(現在56世帯170名)は、 2018年3月の京都地裁判決では原発事故への国・東電の責任が認められました。しかし、避難指示区域外からの避難の相当性を認定こそしたものの、法定被ばく限度(1mSv/年)を避難の基準にせず、避難の相当性を翌年4月1日までの避難に限定、賠償期間を避難開始から2年間に限定、賠償額はあまりにも低額であるため、大阪高裁に控訴しそろそろ結審の日が具体的に見えるところまで来ました。
控訴審でのハイライトは、原告のほとんどが回答したストレスアンケート調査や当時大阪大学医学系研究科の本行教授に書いていただいた意見書が提出されたことです。
意見書には、放射性感受性に個体差があること、年齢が若いほど放射性感受性が高く、影響を強く受けやすいこと、が示されています。
また、国際人権法に関する主張。私たちが主張する「避難に対する権利」や「「健康に対する権利」に関連している国際法は、自由権規約や社会権規約と多岐にわたり、日本はこれらの締約国のため人権条約上の義務を国内で実施する法的義務があります。現在もなお、原発事故の収束のめどは立たず、子どもたちの健康がおびやかされたり、避難者が不当に住宅を追い出されたり、事故後の補償もない今の状態は明らかな国際人権法違反です。また、昨年6月の最高裁での4訴訟(群馬、生業、千葉、えひめ訴訟)に対する国の責任を認めない不当判決に対し、私たち京都訴訟は勝訴しなければなりません。みなさまの継続的な支援が必要です。
長きにわたる裁判闘争をよそに地元では、「放射性物質」が国民そっちのけで資金源として「利用」されて続けています。これを、国や東電、福島県までもが「復興」と呼びます。
福島県内に30基の仮設焼却炉が作られ、目的達成すれば解体するという工事発注だけで1.6兆円を超えるお金が使われています。これを請け負っているのは原発メーカーとゼネコンです。また、焼却された可燃物は10万Bq/kg以下なら既存の管理型処分場(地元との安全協定がなくても実行)で埋め立てられますが、10万Bq/kg以上なら中間貯蔵施設で減容化や「再生利用」されます。下水汚泥を例にすれば、福島市には今は解体された脱水汚泥等の乾燥処理施設がありました。環境省HPにある除染や汚染廃棄物の処理技術実証事業の申請と契約結果でもゼネコンが躍進。便乗に便乗を重ね、原発事故景気さながらに税金を吸い上げます。
2020年秋からは、消費者からも毎月の「電気料金」から原発事故の賠償費用と各原発の廃炉費用が上乗せされています。原発は安い?
原発事故の責任を国民に転嫁する国、東電は必ずや断罪されなければなりません。
福島敦子