2019年6月に、当時のトランプ米国大統領がゲノム編集食品を推進し、規制を撤廃する大統領令に署名し、輸出先の貿易障壁を外す作戦をUSTR(米国通商代表部)に指示しました。日本はこれに追随し、忖度するかのように、厚労省が審議もなく性急に「ゲノム編集食品は品種改良と同じもの」だとして、安全審査なしで流通を許可する方針を決定し、同年10月1日から国内での販売・流通の届出制度が開始されました。しかし、ゲノム編集食品であるという届出すら企業任せで、「ゲノム編集」という表示義務もありません。その後、日本では2021年9月に、リージョナルフィッシュ社が、ゲノム編集したマダイ(22世紀鯛)の流通申請書を政府に提出し、日本はゲノム編集魚の販売開始を決定した、世界で初めての国になりました。それでは、今後も我々の日常的な食卓に普通に並ぶことが予想されるこの「ゲノム編集食品」とは一体どのようなものなのでしょうか?
「ゲノム」とは、その生物の持つ遺伝情報全体を意味する言葉です。ゲノムはヒトの場合DNAがその本体となっており、“ヌクレオチド”という化学物質が繋がってできています。このDNAヌクレオチドには、A・T・G・Cという4種類の“塩基”が対になって何億・何十億もの塩基対が繋がっており、DNAの複雑な二重らせん構造を形成しています。このDNAのところどころに、タンパク質になるための塩基配列があり、その部分を“遺伝子”と呼んでいます。ちなみに、“遺伝子”でない部分は“ジャンクDNA”と呼ばれていましたが、最近ではその部分にも重要な機能があることがわかってきました(J.R.Fagundes et al, 2022)。
「ゲノム編集」とは、「ゲノムDNAの特定の一つの遺伝子を選んで切り取り、そこに別の遺伝子を挿入する」という技術です。単に別の生物の遺伝子を挿入し、新たな機能を生み出す遺伝子組み換え(GM)技術とは異なり、狙った箇所の遺伝子を切断し、その遺伝子の関わる性質のみを変えることができる上に、外来遺伝子を挿入することもできます。この技術は、現在では主に2020年にノーベル化学賞を受賞した「CRISPR-Cas9」システムが使用されています(Genome engineering using the CRISPR-Cas9 system. Nature Protocols. 2013.)。CRISPRとは、Clustered Regularly Interspaced Palindromic Repeatsの略ですが、この遺伝子は1995年に古細菌のゲノムで同様の構造が発見され、その遺伝子座に外来ウイルスDNAの断片が含まれていることから、細菌・古細菌の免疫システムの一部であるということが示唆されて以降、その生物学的機能が着目されてきました(Mojica F.J.M et al 1995)。CRISPR遺伝子にはリピート配列があり、ほとんどの古細菌ゲノムやミトコンドリアにも存在していることから、かなり古い段階で獲得された免疫システムであると考えられています(M.B.Gorlitz et al. 1996)。また、このCRISPR遺伝子座に近接して存在している、CRISPRリピート配列に関連する遺伝子(cas遺伝子)は、ヘリカーゼ・ポリメラーゼ・ヌクレアーゼ活性などを持っており、さらにいくつかの制御タンパク質がこの系全体に関わっていることがわかってきました(S.A.Shmakov et al. 2018)。現在知られているCRISPR-Casシステムは、2つのクラスと6つのタイプに分類されていますが、その中でも最も研究され、遺伝子編集ツールとして用いられてきたのが、ヌクレアーゼ活性を持つCRISPR-Cas9です。CRISPR-Cas9システムにおいては、短いRNA分子が重要な役割を果たすことがわかっていますが、これらは原核生物免疫系タンパクを遺物分子へと誘導する働きがあり、crRNA(CRISPR-associated RNA)と命名されています。後に、このcrRNAプロセッシングに関連するRNA分子や、ヌクレアーゼ活性に不可欠なtracrRNA(trans-activating CRISPR RNA)が発見され、これらの分子が標的となるDNAを切断するために必須のものであるということがわかり、その後のCRISPR-Cas9システムの実用化が大いに促進されることになりました(M.Jinek et al. 2012)。
以上、今回は近年話題になっている「ゲノム編集」について、CRISPR-Cas9システムの話を中心に取り上げました。モンサント(2018年にバイエル社が買収)をはじめとするバイオ企業が推進してきたGMOの安全性が世界中で議論される中、多くの人々に拒否されてきたことは周知の通りですが、現在業界はこの「遺伝子組み換え技術」の代わりに「ゲノム編集技術」へと完全にシフトしています。そして、ゲノム編集による遺伝子破壊は、自然界で起きる突然変異と同等であるということを開発者や業界側の人間は盛んにアピールしています。しかし、CRISPR-Cas9を用いた遺伝子編集によって生じる安全性や、それ以上に重要視されている倫理的問題についての広範な議論が世界中で展開されてきましたが、実際にはその議論にはまだ終止符は打たれていません。この辺りのことを次回詳しくご紹介できればと思います。乞うご期待!!
医療法人聖仁会松本医院 院長 松本有史