本「戦争で死ぬ,ということ」島本慈子 著 岩波新書

2005月10月,自民党は自衛隊を「自衛軍」と改める新憲法草案を発表した。イラク派兵,教育基本法の改悪・・・財界の本音は「企業の権益擁護のために軍事力をバックアップとして使いたい」ということ。いまこの国は「戦争のできる国」へと走りだしている。
この時代への強い危機感から本書は書かれている。「戦争による死を知らないまま,戦争のことを語ってはならない」という強い思いに貫かれて,戦後生まれの戦争を知らない著者が文献と証言を検証して書き上げている。

いまの世論の一部に,イラク戦争に対しても「国際貢献なんだからいいのでは」という声がある。現在の「米日連合軍」は,おそらく世界最強だから,ロシア や中国と正面から闘わない限り「天下無敵」,「戦争をしても被害者にならない限り戦争でない」的な感覚が無いだろうか? また,使い捨てにされ貧困と希望 を持てなくされた若者に「悶々とした状態からの解放」として強大な力へのあこがれ−戦争への誘導がないだろうか? 著者は,このようなマスコミが煽り立て る「戦争国家への動員」の考えに対して,他者の生命に対する決定的な想像力の欠如として,戦争の事態を正面から見すえることを提起している。

イラク戦争の報道でもそうであったが,戦争「ハイテクによって過去の戦争と違い現代の戦争は変わった」と言うまやかしに対して,戦争の真実・今の戦争で も,同じように人は傷つき死んでいる。テクノロジ−進化で兵器が高性能となり,殺す側の負担は小さくなっていくが,殺される側の痛みは変わらない,と語 る。
大空襲,絨毯爆撃で火の海になって,バラバラになり折り重なった死体の山。敗走の従軍看護婦が見た悲劇−病人の毒殺や自決,空爆にやられた母親の元で乳飲み子が,死んだ母のお乳をぎゅ−としごいて大声で泣いて・・・地獄の姿,弱い者ばかりが犠牲になる現実・・・。

フィリピン戦で残虐になった日本人。我が身を殺そうとする攻撃を受ければ,誰しも的の殲滅を願う。殲滅を願った時点で心のブレ−キは壊れている。戦場という暴力装置の中に置かれたときに,人間は本来のその人ではなくなる。
死が抽象化されてしまうことが,「生きて帰るな」「私も死にます」という叫びを容易にする。だから,戦争が近づいてきたときには,意識して死のリアルに立ち戻り,「人間をこういう目に遭わせても,なお戦争をやるのか?」と問いかける必要がある。

いま生きている者たちが大量に命を失う戦争の実体を目の前に浮かべて,著者は我々に,一時の熱狂にはまって憎悪の泥沼に足を踏み入れないために,いま知 性をふるいおこして戦争の実体を見すえることを求めている。“21世紀のいま,ジャ−ナリストは「戦場を防ぐジャ−ナリスト」として働く必要がある”との 著者の決意が強く伝わってくる書である。一読をお勧めする。

(2007年8月)