福島第一原子力発電所の炉心溶融事故から14年が経過した今日、この原稿を書いています。同じ訴訟原告に誘われ、京田辺市三山木で行われた追悼の夕べに参加したのです。原子力緊急事態宣言が解かれていない今、原発事故に関する報道は原発推進に関するものと訴訟敗訴のニュースばかり。そんな空気の中でも闘ってきた多くの仲間が病に倒れ、亡くなっていきます。今宵はろうそくを灯して、暗闇の中でゆらゆら揺れる炎と静けさの中で、亡き人たちに思いをはせる時間を過ごしました。
さて、私がかかわる原発賠償京都訴訟原告らは、2013年9月に提訴。2018年3月、京都地裁の浅見判決で原発事故を起こした国・東電の責任が認められた時、避難指示区域外からの避難の相当性を認定こそしたものの、法定被ばく限度(1mSv/年)を避難の基準にせず、避難の相当性を翌年4月1日までの避難に限定、賠償期間は避難開始から2年間に限定、しかも賠償額はあまりにも低額であったため、大阪高裁に控訴しました。昨年12月18日。その控訴審判決が下され、牧判決は東電の責任を認めたものの、国の責任は認めませんでした。
国の責任を認めない理不尽な判決が続く闘いは、この大阪高裁「大阪冬の陣」で終わらせるはずでした。
京都訴訟での重要な主張である因果関係論。原告のほとんどが回答したストレスアンケート調査や国際人権法に関する内容があります。しかし牧判決では、内部被ばくなんてない!と、勝手に科学者ぶった判決文を書きました。先述の避難の相当性にかかる期間も2011年12月までとさらに短くし、福島県が避難者の追い出しをし始める2015年には程遠く、浅見判決をも無視した内容でした。賠償額は原告にも難解な算定で出され、中間指針第5次追補という国の出したやり方に沿って導いただろう裁判官としての気概を感じないサラリーマン風情で書いたお粗末な判決でありました。
責任論においては、長期評価に基づく予測(敷地高を超える高さの津波)が予見可能とした前提での水密化措置を講じさせなかった結果回避義務違反、IAEA安全基準義務違反などを主張してきましたが、結果としては6.17最高裁不当判決の上塗り判決でした。
しかしながら牧判決は、最高裁不当判決がうやむやにしていた「長期評価に基づく予測(敷地高を超える高さの津波)が予見可能とした前提」を認めました。国は予見できたのに東電に指示しなかったが、指示したとしても津波は避けられないと判断したこと。これは単純に、「原発という『存在』そのもの」が、対策の有無抜きで事故を起こしたら「被害が出ても仕方ない『存在』なのだ」から、「人権や被ばく問題を考えるならない方がいいに決まっている『存在』なのだ」という丁寧に書けばそういう考えを強固にする結果を牧判決は導き出しているともいえます。
原発事故は収束の目処が立っていません。原発というものは「腫れもの」だと牧判決で明らかになっているのに、被告である国は責任を取らず、司法は正しい判断で賠償すらさせず、東電は汚染水を11回も海にたれ流し、被告らはキロあたり8000ベクレルの汚染土を再利用といってさらに放射性物質の拡散を引き起こしています。
爆発事故による原発敷地から放出される放射性物質の被ばくから逃れるために避難した人々は、時が経つほどにまた、判決が下りたのちも苦しい思いを大きくしています。原発賠償京都訴訟原告らは39世帯の原告が上告を決意しましたが、闘い半ばで上告を断念した原告らの思いを考えると「よく頑張ったね」そう心で思うことしかできない自分がいます。
2015年に福島県が住宅無償提供打ち切りを発表、避難者は次々に住宅を追い出され、出ていけない避難者38世帯に対し、福島県など自治体は、個別に裁判をして強引に追い出すような仕打ちをし続けています。司法もそれを援護するかのように不当判決を出しています。
2022年、国は避難指示地域の「医療費等減免措置」を見直し段階的に削減すると決定しました。原爆症を患う方に対する医療補償と同様に支援されるべきです。今回も医療費減免措置は延長され、ホッとしています。今後は、区域外被災者救済として拡大されなければなりません。原発事故の責任を国民に転嫁する国、東電は断罪されなければなりません。京都訴訟は最高裁で必ず勝訴します。引き続きのご支援よろしくお願いいたします。
原発賠償京都訴訟原告団共同代表 福島敦子