医問研例会12月例会報告②(NEWS No.604 p05)

医問研ニュース2025年11月号でパレスチナ人の劣化ウラン弾被害について報告した。12月7日の医問研例会ではガザ、ヨルダン川西岸のパレスチナ人の置かれている状況について改めて以下の内容を私から報告した。

主なデータソースは国連総会の下部組織である「国際独立調査委員会」からの「イスラエル当局による(パレスチナでの)ジェノサイド行為の法的評価に関する報告書」と、イスラエルと国境を接するヨルダン川西岸に住みながら、困難を押して日本に来て情宣活動を展開したアローシュさんの講演。そして医療サイドからの報告としてLancet誌を取り上げる。
最後にアローシュさんの提起を踏まえ、私たちにできることに言及したい。

① パレスチナへのイスラエルの占領地域の拡大

1946年イスラエルの建国当時、パレスチナの地の94%はパレスチナ人の帰属。47年、国際連盟の分割決議により57%がイスラエルの占領地となった。その後1948年から67年の第3次中東戦争を経て75%がイスラエルの占領地となった。第3次中東戦争でガザは全土がイスラエルの支配下に置かれた。2012年にはパレスチナ全体の実に92%はイスラエルの占領地となり、現在も進行している。

⓶ ランセット誌の概説からの抜粋(土地ばかりか人命までも失われているという暴露)

2023年10月7日以来、イスラエルによるガザ地区での軍事作戦は広範な国連人権委員会からの監視の対象となっており、戦争犯罪捜査の対象となっている。(中略)ガザ地区のパレスチナ保健省は死亡記録の精度が高く2014年大規模なイスラエル軍事作戦の際に発表された(それ以前の)死者数は信頼できると考えられておりの軍事作戦の開始時に、パレスチナ保健省は外傷による個々の死亡を追跡し続けており、現在の報告書は信頼性があることが示された。しかし、2023年10月以降、保健省の死亡率データの質は低下しているように見え、身元不明(つまり、氏名やその他の固有の識別情報がない)の死亡者数が増加していることが示されている。(表参照)

③ ガザの悲惨な現状

ガザを巡ってはイスラエルの支配下に置かれながら、インティファーダ、PLO、ハマースなどの抵抗、自治などが繰り返されたが、現在はイスラエルとトランプ政権によるジェノサイドが公然と行われている地域である。国連総会の下部組織である「国際独立調査委員会」が2025年9月、「イスラエル当局によるジェノサイド行為の法的評価に関する報告書」を公表し、2023年10月から2025年7月までに60199人のパレスチナ人が殺害され、そのうち18430人が子供、9735人が女性であったと報告した。また、委員会は国連人道問題調整事務所の見解を引用し、「2025年の7月30日時点での負傷者数は146269人に達すること」「ガザは近代史上最大の小児四肢切断者の集団の地である」などと報告された。

④アローシュさんの提起について
以上の背景からアローシュさんからの提起について考える。パレスチナ人が統一してイスラエルに対する非暴力の運動をすることなど、経験に裏付けされた提起にうなずける。法体系や憲法などの展望にもすごいと思う。私たちのできることとして、「パレスチナの子どもにも生きる権利がある。手足を切断した子どもや親を亡くした子どもたちに、医療や教育を保証したい」にどう対応するかなども重い提起だと思う。
日本の現状の中で薬や検査などの非科学的な医療の暴露、学会や文献分析などを通じた活動、健康被害や福祉政策への対応などの重要性を改めて認識することが必要だろうとも考えている。

(山本 了)

パレスチナ略年表

1914-18年 第一次世界大戦

1920年   ガザ地区はイギリスの支配下に

1947年 国連パレスチナ分割決議。ガザ地区はアラブ人国家の領域に

1948年 5月 イスラエル建国。第一次中東戦争。多くのパレスチナ難民がガザへ逃れる。

1967年 6月 第三次中東戦争。ガザはイスラエル軍の支配下に。以後人権抑圧。

特に難民キャンプは監視対象になる。

1987年12月 インティファーダ(占領に対する民衆蜂起)。ガザから全パレスチナに。

1993年 9月  オスロ合意。PLO(パレスチナ解放機構)とイスラエルの和平に向けた基本宣言を結ぶ

1994年 5月  イスラエル軍、ガザから撤収。パレスチナ暫定自治政府と自治警察がガザに。

1996年 1月 初のパレスチナ総選挙。アラファト大統領。

1996年 2月 自爆事件を口実にイスラエルはガザとの境界を封鎖。労働者を締め出す。

2000年 9月 第二次インティファーダ。各地でパレスチナ人の抵抗。

2002年 3月 弾圧、破壊、殺人など

2006年 1月  ハマースが選挙で大勝。その後ガザを制圧

2007年6月 イスラエルのガザ完全封鎖。

2008年 8月 国際的連帯運動。「自由ガザ運動」封鎖突破しガザ入港。

2009年1月 イスラエル軍大規模なガザ爆撃、侵攻。1400人以上が殺される。

2010年5月 「自由ガザ運動」の救援物質を運ぶ船団を公海上でイスラエル軍が襲撃。

2010年6月 イスラエルは国際非難をかわすため封鎖緩和案を承認。