本「市場原理が医療を亡ぼす アメリカの失敗」李 啓充 著 医学書院

本書はハーバード大学医学部での経験にもとづいて米国の医療制度について分析し,その欠陥を指摘し続けて来た著者が,米国のたどった道を進もうとしている日本の医療制度改革を痛烈に批判したものである。
第1部は医療に市場原理を持ち込むことの誤りを具体例で示している。
まず米国大手病院チェーンは利潤追求のために患者サービスを高める方向ではなく,高価で不便なサービスを押し付けたことが徹底して暴かれる。たとえばテ ネット社は必要のない検査を患者に勧めることで莫大な利益を上げていたことが分かり,FBIの捜査を受けた。そして「米国の場合,経営のプロたちが運営す る営利病院のほうが医療の質が劣るだけでなく価格も高いことは,多くの研究結果が一致して認めている」と結論づけている。
続いての章では,米国医療が自由診療の名の下に医療格差を拡大して来たことが述べられる。人工腎臓透析の場合は,その当初から限られた医療資源をどの様 に国民に供給すべきか公に議論しながら進めてきた。しかし人工心臓の場合は効果も確かめられていない「先端医療」を営利企業と結びついて推し進めたのであ る。その結果,裕福な患者にだけ提供されるシステムができあがった。しかも患者のQOLを全く改善しない「先端医療」がマスコミの力を借りて宣伝され,単 なる金儲けのビジネスとなってしまった。そして壮大な無駄遣いをした挙句,給付制限へと至ったのである。
また訴訟が医療の質を改善しなかったこともハーバード大学の研究報告を引用しながら述べられている。裁判の判決は実際の医療過誤の有無に関わり無く出さ れており,訴訟対策の保険料や「防衛医療(医療過誤の賠償責任にさらされる危険を減ずるために医師が行う検査・処置・診療。あるいは反対に,医療過誤の賠 償責任にさらされる危険を減ずるためにリスクの高い患者の診療を忌避すること)」の増加を生み出した。
第2部では以上の事実を基に,日本の医療改革論議のおかしさを徹底して批判している。医療の問題を,コスト削減・アクセスの良さ・質の向上の3つから考 えると,その内の2つしか同時に実現することはできない。そして日本はコストとアクセスを重視し,質は軽視してきた(たとえば日本の看護師数は先進国中最 低レベル)。だから日本の医療問題は質の向上以外の方法で解決しないと作者は断言しているのである。またそのためにはエビデンスに基づく医療(EBM)を 推進しなければならないが,何と厚生労働省はEBMさえコスト削減の道具にすりかえ,「EBMに基づくガイドライン」などという頓珍漢で恥ずかしいスロー ガンを掲げていると痛烈に批判している。
非常に難しい議論を展開しているにも関わらず,文章に引き込まれてしまうのは著者のうまさ故だろう。いちどくをお勧めする。

(2006年4月)