本「少年犯罪厳罰化 私はこう考える」佐藤幹夫・山本譲司共編著 洋泉社新書

少年法は2000年に大「改正」され,刑事処分可能年齢の16歳から14歳への引き下げられた。また16歳以上の少年が故意の犯罪行為により被害者を死 亡させた事件については,原則として家庭裁判所から検察官に送致する制度が導入された。これに伴い公開の刑事裁判を受けることになった。2007年5月に は,刑事責任を問えない14歳未満の少年が起こした事件について警察に強制調査権を与えるとともに,少年院送致の下限年齢を14歳以上から概ね12歳以上 に引き下げた。自己責任を強調する点で新自由主義的である。
背景には,少年による凶悪犯罪増加という認識と,厳罰化を求める声の高まりがある。しかし,少年法は刑事罰を与えるための法律ではなく,少年の更生を目 指した,教育と福祉とを柱とした教育法的側面と,責任と刑事罰を柱とした刑事法的側面とから成り立っている。人を殺すのは,よほど根の深い問題が存在する からで,こうした問題と取組み,少年に事件の重大性を理解させながら更生に向けた指導を行うには,ある種の育て直しを目指した,きめの細かい粘り強い取組 みが不可欠である。当該少年はいずれ社会に帰ってくる。社会復帰を前提とした処遇の検討こそが不可欠となる。

少年非行の凶悪化と低年齢化はウソである。殺人で検挙される少年の数は1965年頃から激減し,その後安定して推移している。強盗や強姦についてもほぼ 同様である。非行のピークは年齢の高いほうに移行している。しかし,被害者感情を重視した報復的な刑罰観(行き着くところは近代では禁止された敵討ち)や 治安的な発想が強まり,マスメディアが少年事件を強調して世論をあおっている。厳罰化が犯罪防止に有効という根拠はなく,死刑廃止に踏み切った諸外国では 殺人事件が増加していない。

少年処遇については,少年刑務所と少年院とが対比されている。少年刑務所は刑事施設であり,集団管理をして受刑者を信用しない。少年院は矯正教育を実施 する施設で,少年一人一人のニーズに対応した処遇を実施し,少年を信用することが基本的な構えになる。少年たちは少年院では絶えず教官や自分自身と向き合 うことになる。多くの犯罪を犯す少年たちは,「否定」される人生を歩んできて「評価」されずに生きてきた。人は「評価」してくれる人の前ではじめて自分の 「非」を認められる。そのためには関係の支えが必要であり,厳罰化は誤っている。少年院の技官や職員,保護監察官など,司法福祉の人員を増大させ,処遇方 法を多様化すればいいとの高岡氏の提案はうなずける。

執筆者は,教育,医療,司法,福祉,矯正などの現場に携わっており,いずれも説得力をもつ。少年の育ち直しを支援する体制こそが求められる。一読をお勧めする。
なお,最近少年事件の供述調書をそのまま出版した著書が問題になったが,少年審判は被害者が希望すれば公開されるのであり,出版によって少年が社会から排除されるなら,更生を理念とする少年法の精神に反するため犯罪的であると言うことは指摘しておきたい。

(2007年9月)