本「世界がキューバ医療を手本にするわけ」吉田太郎 著 築地書館

著者の吉田氏は農政業務に従事する地方公務員である。その彼が医療の問題を取り上げているのは,キューバの有機農業を視察した際にラテンアメリカ医科大 学を訪れたのがきっかけだそうである。南米全体は今,反グローバリゼーションの大きなうねりの中にあり,ベネズエラのチャベス大統領は「資本主義は地球の エコロジー的バランスを破壊している。もし,我々が今の世界を変えられないならば,人類に22世紀はない」とまで言っている。そして彼の主張を支える背景 には,キューバからの農業や医療の技術援助があるという。著者はそのキューバの医療を徹底して取材し本著にまとめられたのである。

プロローグではまず,日本の福祉医療の崩壊が語られる。これまで低医療費で世界最高の健康水準を達成してきた日本であるが,制度「改革」の進行の下に, 慢性的な医師不足,無理な当直体制,増加する医療ミスと刑事告発,自由診療解禁への動きなど,システムが音を立てて崩れつつある。また保険・年金システム の不備もあらわになり,国民の怒りと不安を駆り立てている。「しかし」と著者は指摘する。かつてキューバはソ連の崩壊により深刻な経済危機を経験した。 GDPはマイナス35-40%,世界恐慌並みの危機である。製紙用パルプの輸入ゼロ,輸入石油が780万トンから300万トンへ落ち込む。交通は麻痺し救 急車も動かせない。停電が毎日16時間も続く。日常生活物資は不足し,医療機器・医薬品の大部分がストップ。抗生物質もアスピリンも無いという事態の中 で,どうして医療が崩壊しなかったのだろうか?
色々な理由があるだろうが,著者は,キューバ医療が「ビジネスではなかった」ことを強調している。第一に,地域医療の第一線ではファミリー・ドクターと 呼ばれる医師たちが活躍している。彼らは無料の医科大学を卒業後,貧しい農山村や先住民の居住地で働くことが義務付けられている。その後コミュニティに配 属されるのだが,子どもが生まれてから成人するまで,あるいは高齢者が息を引き取るまで,地域住民の健康管理に責任を持つのである。
第二に,キューバは世界的に見ても高度なバイオテクノロジーを駆使して,優秀なワクチン開発などを行っているが,その研究所は全て国営であり,互いに密 接に協働している。つまり本当の意味で競い合っているのであり,敵対的競争は無いというのである。これは日本で仕事をしている我々には信じがたいことであ る。しかしキューバが国際ビジネス社会の中で高度な技術を発信し続けていることは確かであり,今後キューバ医療を詳細に学んでみる必要があると感じた。

このような優れた面を持つキューバにも,グローバリゼーションの波は確実に押し寄せており,若者が消費主義に走らされ,無気力化しているらしい。それに 対抗する手段は,教育であるという。学校は1学級15人制で,幼稚園からコンピュータを学ぶそうである。医学教育に至っては2年生から臨床現場で仕事につ く。この現場重視主義により,教授陣の80%は第一線で働く医師であるという。
マイケル・ムーア監督作品「Sicko(ビョーキ)」を見たときにもキューバ医療はどこか違うと感じたのだが,本書を読んでそれは確信に変わった。一読をお薦めする。

(2007年11月)