本「ダルフールの通訳」 ジェノサイドの目撃者 ダウド・ハリ 著  山内あゆ子 訳  ランダムハウス講談社

何冊もある新聞の書評欄の中で,なぜこの本に,特に強いメッセージを感じたのか,もう忘れてしまった。スーダンのダルフール地域のジェノサイドが,数あ るアフリカの内紛・部族間虐殺の中で,特別に関心をひいたわけではない。多分,書評にあった,「著者は,過酷な惨劇を目撃し証言しているのだが,著作全体 にユーモアが活きつづけ・・・」に惹かれたように思う。読むと,このユーモアがなにに依拠しているのかがわかる。
たとえば,ルワンダの虐殺をめぐる映画も何本かみたけれど,物足りない,なにかしっくりこないと思っていた。なぜ,部族間の虐殺・内紛がおこり続けるの か,この悲劇を生き抜いた人々にとっての,真の希望や生きがいは,いまも続く紛争の状況のなかで,どう維持できるのかが,とてもうすっぺら,かつ避けて描 かれていたからだと思う。
著者は,ダルフールで虐殺された側のザガワ族の一人である。女性やこども,老人を無事脱出させる先導役として,男性としては例外的に生きのびることがで きた。語学の知識があったので,この紛争地帯を取材にやってくる世界のジャーナリストの案内役を命がけでつとめた。ダルフールのジェノサイドを自分の視 点・ことばで発することが,生き残ったザガワ族,ダウド自身の責務だと信じている。
虐殺がいかにすさまじいものであったか,目撃者が書いたものだけに読みすすめるのも苦しい描写もたくさんある。しかし,そうではなかった部族の平和な時 代の生活や,かれが,自然とともに,人間が,当たり前に尊敬しあい,ささえあって生きることの大切さを,だれから,何から,どんなふうに学んだかが,半生 をふりかえりながら書かれている。
「はじめに」の部分と,あとがきのダルフールの現状が,いくつかの映画で物足りなかった部分を補っている。石油資本がひきおこす「政府」と「反政府」の 争い,グローバル資本の地球・自然破壊がもたらす,自然とともに本当の《生活》をしてきた人々から,自然を奪うことの意味がより理解できたと思う。
かれは,自分がダルフールにもどり,もとの平和な部族の生活をとりもどすこと,それを世界が支持・支援できることが,世界中の紛争・虐殺を根絶することになる,と訴えている。ダルフールのジェノサイドから,世界・地球が見える,そんな著作である。
余談をひとつ,かれが,ラクダにふれる部分はすばらしい描写で,モンゴル映画の『白い馬の季節』(これも必見)を思い出させた。

2009.1 K