本「『こころ』の問題から『社会』の問題へ−児童虐待のポリティクス」上野加代子 編著 明石書店

児童虐待問題を扱う報道や書物が数多くあるが,1990年代以降,児童虐待問題は,「貧困」問題をすでに克服した「豊かな社会」の中での「現代的な児童 虐待」「家族病理」といった意匠で語られることが多くなった。問題が家族の病巣にあるとする見方から,家族や保護者個人の「こころ」への手当が志向され, カウンセリングや家族療法を施し個人や家族関係を変化させることが虐待の連鎖を断ち切るのに必要であるという主張となる。それに応じて,児童相談所を始め とした福祉・行政機関で行われる保護者の支援・治療のためのプログラムは,「個人の心理内界へのアプロ−チ,親子関係へのアプロ−チ」など,保護者や家族 の「こころ」の部分に焦点を当てることになる。そしてカウンセリングや心理療法,保護者の養育態度に対する教育的治療などが中心となっている。
極端な例では,司法的な強制力を持った「加害者の治療モデル」の導入を強く論じる者もいる有様である。そこでは,保護者や家族の社会的・経済的な生活の 改善を目指した援助と言ったものがほとんど含まれていない。貧困等の社会的な要因や,それを改善できない行政や社会の責任問題はどこかに消えてしまってい る。
著者は,現場とデ−タから見える家族の姿を引用し,低所得・貧困と児童虐待との関連性を検証している。
子どものいる家庭全体の平均収入の1/2以下しか収入を得ていない家庭が,虐待保護家庭の約2/3を占める。生活保護受給家族の保護率は,一般人口に対 する保護率の20倍以上もの高さである。母子家庭では,子どものいる家庭一般の約7倍になる。その他,借家率の高さなど,こうしたデ−タからは,高度経済 成長やバブル経済を経ても,貧困問題や生活困窮を抱える家族や子どもたちの生活状況は,改善されておらず,児童虐待やネグレクトの発生に,貧困や低収入, 社会福祉の欠陥が密接に結びついているという事実が確認される。
本書は,在宅での生活を支え,養育上の問題の軽減,改善を図るための経済的・物質的な支援策等が実現されるよう,社会保障全体の貧困さ,失業や雇用対策,住宅対策,保育所対策の不備を改善し,子どもの福祉政策全般の水準を押し上げていくことを強く主張している。
第一に問われるべきものは,児童虐待をしているとされる保護者個人の責任性や「こころ」の問題ではなく,ましてや人格の特性や心構えの問題ではない。社 会福祉全体の欠陥や社会的な資源不足自体が,子どもたちを虐待状態においている可能性を検証すべきと問いかけている。また,児童虐待施策における保護者個 人の責任性や「こころ」の問題への過度な焦点の当て方は,こうした家族の社会経済的な困難さや社会的資源の不足の問題から,注意をそらす社会的装置にさえ なり始めていると警告している。
著者は,児童虐待があるとされた家族と出会い,彼らの生活史を聞く度に,経済的なことを主とした生活上の苦労を経てきた家族の多さに気づかされる。語り 切れない過去を背負いながら,現在もその苦労を継続しながら生きている家族の困難に対する暖かい眼差しと,それに如何に向き合っていくかの視点を模索して いる努力が伝わってくる力作である。是非,一読をお勧めする。

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