本「やさしいうつ病論」 高岡健 著(2009年8月)

やさしいうつ病論
高岡健 著 批評社 1500円+税

1987年はサッチャリズムやレーガノミクスなどの新自由主義が登場し,「軽症うつ病」が提唱され,プロザックというSSRI(セロトニン再取込み阻害 剤:新しい抗うつ剤)が米国で発売され,新しい精神障害診断マニュアルのDSM-Ⅲ-R(精神障害の分類と診断の手引第3版改訂版)が出版され,うつ病の 時代に突き進んでいく出発点になった年である。以後うつ病診断が乱用されるようになる。新自由主義は,人々を成果主義に駆り立て,息苦しい世の中をもたら し,人々はSSRIをかじりながら人生を走り抜けるよう強いられた。
新自由主義は,政府や国家を小さくして福祉や教育を切り捨て,自己責任化するもので,いったんチャンスから外れると敗者復活戦がなかなか難しい。新自由 主義はすべてを自己責任化して,耐えられなくなって,うつ病が明らかになってしまった人は「だめな人間」とされる。だめな人間が復活していく条件は,抗う つ剤をのんで元気を取り戻してまた第一線で活躍しなさいという形しかなく,悪循環の連鎖をつくりだしている。うつ病に対しては,新自由主義を自分の中に取 り込まない生き方にほんの少しでも変えていければ,これは人生にとってマイナスではなく,プラスへと転換するきっかけになりうる。
日本では1988年以降毎年3万人以上の自殺者がいて,かなりの割合をうつ病の人が占めると考えられる。ただし,うつ病で自殺するのは一部に過ぎず,自 殺対策イコールうつ病対策に問題をすり替えてリストラなどの根本的な問題が覆い隠されかねない,と著者は注意喚起する。自殺に至る直前に多くの場合うつ病 の状態,それも軽症うつ病がある。軽症うつ病は,そういう生き方を続けると本格的なうつ病や自殺に突き進むという警告と捉えられ,自分の生き方を変更する 機会となりうる。
高度成長期は第二次産業の時代で,大量生産のために一斉に同じ行動をしていくのが役立ったが,バブル景気が崩壊して第三次産業の時代に入り,集団と一致 した行動がいいというのが通用しなくなった。子どもは時代の雰囲気を敏感に感じ取り,集団優位の学校になじめず不登校が起こる。学校が社会になじまないか ら社会の中に生きている子どもにもなじんでいないというのが不登校の本質であり,うつ病にならないためのクッションであるという説もある。人間は小さなひ きこもりを繰り返して自分と向き合うことができ,ひきこもらなければ身体的,精神的な健康を手放さざるを得なくなる。
うつ病は大きなひきこもりともいえるが,自分と向き合うための時間としての意義がある。もちろん薬物療法と休養によって回復をめざすが,その後は自分と 向き合い生き方に小さな変更を加えていくことが望ましい。うつ病とは失われたものの内面に気づかない人が,失われた相手を憎む代わりに,自分を非難し処罰 する病気で,そのことによって自分と自分との間の折り合いに悩む病気であると,著者は定義する。したがって,うつ病からの回復には少し生き方を変更する必 要がある。
うつ病像の変遷を新自由主義の登場との関連で読み解き,DSM体系によって貧困化された精神医学の現状を批判しつつ,うつ病理解を深め,生き方を問い直す機会としてうつ病を捉えている。うつ病や新自由主義の時代の理解が深まる本書を是非一読してほしい。

2009.8 U