浮雲保健師ぶ~やんの呟き(NEWS No.462 p07)

「はやぶさ乗ったことあるん?」〜の巻

幼い子どもと関わる仕事柄 その子たちが育っていった後にも、ママから様々な相談が持ちかけられる。道路であったり 出かけ先であったり、メールや電話であったりするが、全く違う地域と年齢なのに 同じような相談が続いた。その一つ。

元気な幼稚園の年中さんA君5歳。
久しぶりに電話相談が来た。何事かと心配してきいてみると、休日に時々利用する幼児向けの遊具が設置されている地域の児童センターで知り合ったお友達B君5歳の事だった。
そこは自由に使用できる施設なので A君親子もB君親子も、お互い約束するでもなく、たまたまそこで出会ったら仲良く子どもたちは遊び、親同士はママ談義に花を咲かせている と言う日々。それでもいろいろ話していると仲良くなり、家庭の悩みとかも話していたそうだ。そのうち「次は、●月●日に~またね」と約束するようになっていた。そんなこんなで2年が過ぎたある日。B君ママに子どもたちを頼んでA君ママが、トイレに。戻ってくると相変わらず車好きのA君が持参した本で仲良く話している。「東北新幹線~!」とB君が指差した。「見たことあるん?」とA君が聞いていた。するとB君ママが「うん、これに乗って帰るんだよ…」っとポツリと言った。
A君ママはびっくり。
声を掛けられないまま考え込む。
今までのママ談義を思い起こしてみる。
『今、ママの実家に住んでるって言ってた…パパは単身赴任だったと…東北の話なんて今までしたことない…』振り絞って声を掛けた「帰るって?」振り返ったB君ママは淋しそうな笑顔で「うん…」
「これ乗ったことあるで~」「A君も乗りたい~」と子ども同士 車の絵本で盛り上がっている横で、B君ママは ポツポツ語り始める。
原発事故の影響で、東北から避難してきたが、パパは実家も仕事もあり単身で暮らしていること。大阪のママの実家は心配し 帰りにくくなるも、パパは心配ないと言って帰るよう言って来ている状態で2年過ごしたこと、子どものためにと住所を大阪の実家にうつし自主避難したので 援助や情報が受けられないこと…
A君ママは、頭が真っ白。お友達と思っていたのに、何にも知らなかった。その上、東日本大震災は 復旧していると思っていた自分に情けなく思ってしまう。
B君親子は、B君の入学を控え帰ることにしたそうだ。様々な不安を抱えたまま…。
A君ママは、原発事故については何も知らないが、何かしてあげられることがないかと思い悩んだところ、私・ぶ~やん・を思い出してくれたとのこと。
B君親子には面識も確認もできないので、様々な会や情報を伝え、大阪でも健康相談会していることも紹介。
後日、A君ママから報告。
B君親子は、三月には帰ってしまうが、伝えられた情報で心強く感じてもらえた様子で「もっと、早く話せばよかった。」とも言われ、今まで孤独だったんだろうか?と思い泣けてきたと。被災した、していない関係なく、幼い子どもを抱える親子が、何故こんな思いをしなければならなくなったのでしょうか?
・・・もうすぐ三回目の3.11。

川崎恵子