ベラルーシ、ドイツ訪問記 低線量被ばくで各国の研究者と交流(NEWS No.463 p02)

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ支部より医問研の3名の小児科医が、フランクフルトでの国際会議「原発事故がもたらす自然界と人体への影響について」に招請され、2月25日より約2週間ベラルーシとドイツ2か国を訪問し、現地の医師と貴重な交流を行いました。その内容と意義についてシリーズで報告していきますが、第1回目は、日程に沿って概要をお伝えします。(入江)
フランクフルトに到着すると、IPPNWドイツ支部の会員がホームステイで迎えてくれました。ノーベル平和賞受賞時のドイツ代表ゴットシュタイン氏、精神科医チールマン氏のお宅に分泊、家族の一員のような温かいおもてなしを受けました。
翌日26日はドイツ支部の医師たちと空港で待ち合わせし、3日間のベラルーシ訪問に出発。首都ミンスク到着は氷点下の夜半で、ドイツ・ベラルーシ親善の宿泊研修施設へ直行。
27日は朝から夕方まで日本、ドイツ、ベラルーシの医師と専門家による講演と意見交流が行われ、高松さんと山本さんが福島での子どもの甲状腺がんについて報告しました。
28日はミンスク近郊の関連施設を訪問見学することになり、午前中はベルラド(BELRAD)研究所を訪ねました。住宅地の一角にある普通の建物でしたが、2階の測定室には椅子式のホールボディカウンター(WBC)が置かれていました。放射能測定の講義はロシア語をドイツ語に訳し、それをまた日本語にする中で何とか解釈。帰りに希望者は実際にWBCで計測してもらいました。
午後は子どもがんセンターを見学、ベラルーシ全国のがんの子どもを診療する施設ですが、資金はポーランドなどからの寄付で、地味な建物と設備でした。敷地内には立派な児童福祉住宅が建っていましたが、巣立っても多くが刑務所に入ってしまう、という社会矛盾があります。
翌日の3月1日は早朝からマイクロバスでゴメリに移動。チェルノブイリ事故で大量の放射能汚染を受け甲状腺がんが激増した都市です。到着した国立放射線研究所は、広大な林野にそびえ立つ近代的な病院でした。設備も医療機器も最新のもので研修用の宿泊施設も整い、世界中から研修や見学を受け入れているのでしょう、その立派な建物は福島県立医大と重なりました。
見学後、講堂で意見交換会がもたれ、病院長、ドイツのケルブライン氏、山本さんが講演しました。ベラルーシは政権が原発を推進しようとしており、病院スタッフの口は固いという印象でした。
翌2日は早朝にゴメリを発って車は極寒の大草原を5時間走り、ミンスク空港に到着。2時間でフランクフルトに帰り、ホームステイ先でゆっくりと休養。
3日の昼はフランクフルト大学小児科のカンファレンスに参加、50人ほどの研修医を前に山本さんが福島の子どもの甲状腺がんについて講演。IPPNW会員の小児科部長と意見交換をしました。
午後はチールマン夫妻とゲーテ博物館を見学し、フランクフルト市内をのんびりと散策しました。夕方は、近郊のランゲンでの反原発市民集会に参加。日本からの連帯のスピーチを行い、その後の対話集会で「本当のフクシマ」写真パネルを示し、甲状腺がん多発を訴えました。50人の参加者は拍手と声援で応えてくれ、連帯感みなぎる集会でした。
国際会議初日の4日の夕方には会議場に各国の参加者が集合、ゴットスタイン氏の歓迎スピーチでいよいよ国際会議のスタートとなりました。早速、会場に「本当のフクシマ写真展」パネル、被ばく本、パンフなどを展示しました。
翌5日の午前、英国のイアン・ファレー氏らのセッションで、低線量被ばくに対する「日本の学術団体の態度表明」について入江さんが報告しました。講演後、ドイツ在住の日本の方が、本当のことがよく分かったと駆け寄ってくれました。また数人から、講演内容の資料の提供を依頼され、大きな反響でした。
会議は4日間にわたり、ドイツ、ベラルーシ、イギリス、米国、スイスなど世界中から医師、科学者など専門家のほか、ジャーナリストからも、低線量被ばくの健康障害、福島の被災者の生活実態についての報告があり、真剣な討論が繰り広げられました。会議の中盤6日の夜に、高松さんから「福島での甲状腺がんアウトブレーク」と、山本さんから「甲状腺結節と放射線量の比例関係」の発表があり、ベラルーシのマルコ医師らから評価の声が上がり、海外の専門家に日本の現状をしっかりと伝えることができました。
会議の合間にはケルブライン氏やマルコ氏、ベイバーストック氏、インゲシュミット氏などと個別に意見を交わし、今後の協力関係をつくることができました。
この貴重な機会を与えていただいたIPPNWドイツ支部、教会の皆さまにお礼申し上げます。
入江診療所 入江紀夫