いちどくをこの本『母子避難、心の軌跡―家族で訴訟を決意するまで―』(NEWS No.465 p07)

『母子避難、心の軌跡 家族で訴訟を決意するまで』
森松明希子 著
かもがわ出版、1400円+税

2013年9月福島第一原発事故による放射線被曝を防ぐため関西に避難された被災者の方々が、東京電力と国に対して原発事故の責任を追及する損害賠償請求を大阪地裁に提訴されました。この「原発賠償関西訴訟」原告団の代表を務めていらっしゃるのが森松明希子さんです。東日本大震災発生当時、著者は福島県郡山市で3歳になったばかりの息子さんと生後5カ月の娘さんを育てるお母さんでした。大震災に引き続く東京電力福島第一原発のメルトダウン(炉心溶融)・水素爆発による放射線被曝から子供たちを守るため、1カ月間の避難所生活と福島での生活再建を試みた後、2011年5月大阪市への母子避難を決断されました。

原発から60kmほど離れていて、また避難指示・避難勧告を伝えてくれる政府から屋内退避の指示も出されていない郡山市はつまり大丈夫なんだと思い込むようにしたり、また、いずれ収束して街は復興に向かうという現地福島での報道を一度は信じて、福島で普通の日常を取り戻そうと意気込まれた著者が、「母子避難の決断」に到達される経過がまず述べられています。その記述は大手マスコミからは知り得ない現地での子育て・生活状況から生み出される、著者の言う「違和感」「焦りと不安と得体の知れない恐怖」を伝えます。5月ゴールデン・ウィークに、医師である、お連れ合いの提案により、著者の出身地の関西に短期避難(保養)され、「外から福島のことを見る(知る)」こととなり、乳幼児を福島で育てるべきではないとの思いをいだかれるに至ります。

第二章「大阪に来てからの一年」には、二重生活の経済的負担に直面されるとともに、子どもを父親から引き離してしまってよかったのか?避難することが本当に正しいことなのか?と迷いながらの苦しい避難生活を綴られますが、外遊びを楽しみながら育つ子ども達の姿、ドーンセンター(大阪市)での母親グループや「避難ママのお茶べり会」での母子避難者同士の交流の中から、「避難の選択は間違っていなかった」と大阪での生活再建・・・就職・保育所入所へと「一歩踏み込む勇気」を示され、また「避難者自らが事実を語ることの大事さ」に気付かれ、避難者に「今」必要な支援は何なのか?を多くの場で訴えられます。私も「子ども全国交歓会」の集まりや「避難者こども健康相談会おおさか」のセミナーなどで、発言を聞かせて頂きました。

原発事故後、必要な具体的施策は実施されず、国の対応は「知らせない、調べない、助けない」方針を明らかにするばかりでした。2012年6月やっと成立した「原発事故子ども・被災者支援法」も反故にされるという失望にも関わらず、「子ども達はこの国の将来を背負って立つ貴重な存在、子どもの未来を守りたい」「避難の権利を認めてほしい」・・・人として当たり前の思い、権利の実現のために

国と大企業を訴える裁判の原告を決意されるに至る姿勢、「誰かがやってくれるだろう、はないのです」の言葉には学ぶべきものが多くあるように感じました。

5月19日の新聞報道によると、福島原発事故避難者集団訴訟は全国で計20訴訟が起こされており、原告総数は6800人を超え国内最大規模になっています。

小児科医  伊集院