いちどくを この本『精神科ナースになったわけ』(NEWS No.501 p07)

『精神科ナースになったわけ』
水谷緑 著、小林千奈都 編
イースト・プレス 1000円+税
2017年4月発行

「正常」「異常」、「正気」「狂気」、「フツウ」「ヘン」。
これらの違いとは…? その境界とは…? その見極めとは…?
あなたは…? ワタシは…? オトナは…? 社会は…?
思春期時代、私は、バブル全盛期の”狂った“週末を背伸びして満喫する一方、アタマの中はこんな疑問で埋め尽くされていた。

水谷緑さんのコミックエッセイ『精神科ナースになったわけ』は、精神科看護師を志した私自身のルーツを呼び醒ます一冊だった。さらには、20年以上も遡る精神科での初日のエピソードをはじめ、閉鎖病棟での葛藤、思春期病棟での虚無感等の自身のこころの揺れ動き、そして、一人ひとりの患者さんを、昨日のことのように想い起こす時間でもあった。文中の病名表記が旧呼称等、若干気になる箇所があるものの、「精神科での取材のハードルの高さ」を乗り越え、精神科での看護という営みを、独特のペースを伴い伝えてくれている。読み進めていく中で感じた、この“独特のペース”というのは、精神科看護に重要かつとても高度なスキルでありセンスだと、個人的には思っている。”ゆっくり“とも、”のんびり“とも、”おっとり“とも、“ゆるい”とも異なる空気・存在感。それは、人に寄り添うことに不可欠な何か…。それは、スキル?! センス?! 専門性?! 非専門性?!  (これは私が追究している研究テーマでもある)…。私の意味する”独特のペース“を、人はどのように感じるのか、興味深い。

もう一側面に触れるならば、【精神科ナースになったわけ】は、“その人をみる”ということについて、つぶやくように語りかけてくる。それは、説明や解説とは異なり、戸惑いのただ中にいる新人看護師、もしかしたらそれ以上に、立ち止まることを忘れてしまった(立ち止まることが許されなくなった)ベテラン看護師への問いかけとして、じんわりとフツフツと響いてくる感覚だ。「看護は、病気・疾患(だけ)ではなくその”人“を みる」。この言葉と考え方は、「全人的」「その人らしさ」として、看護の教育・実践の場ではすっかり浸透した。【精神科ナースになったわけ】では、様々な立場の方々に、その言葉の意味を考える機会を与えてくれそうだ。

【〇〇になったわけ】。 そんなことを考え、立ち止まることに、かなりのエネルギーがいる、と実感するようになったのはいつからだろう。仕事に限らず、今の自分を象徴する意味としての【〇〇になったわけ】を、“独特のペース”で語り合ってみることとしよう。

来栖清美(NPO kokoima 理事)