臨床薬理研・懇話会6月例会報告 シリーズ「臨床薬理論文を批判的に読む」第38回(NEWS No.515 p02)

臨床薬理研・懇話会6月例会報告
シリーズ「臨床薬理論文を批判的に読む」第38回
大規模RCTと対極的な位置にある「N-of-1 RCT」

RCT(ランダム化比較臨床試験)というと大規模な臨床試験を連想しますが、今回は1人の患者で複数の治療をクロスオーバー(交差)で比較する、患者ひとり単位のRCTないし臨床試験をとりあげます。米国AHRQ(医療研究品質局)は、2014年に「N-of-1試験のデザインと実行」のユーザーガイドを出していますが、そこでは「N-of-1試験」を「臨床医学におけるN-of-1試験は、1人の患者で行われる多重な交差試験で、通常ランダム化され、しばしば遮蔽化される」と定義しています。
大規模なRCTはその性格上将来の患者のために行われますが、「N-of-1試験」の大きな利点は、治療効果が現実の患者のためになることにあります。実際、希少遺伝疾患の多くの患者がN-of-1 臨床試験への参加を望んでいます。「N-of-1試験」はEBM(根拠に基づく医療)のビッグネームのひとりであるGordon H. Guyatt (カナダ・McMaster大学)が中心となり、同じ大学のDavid L. Sackettたちとともに普及に力を入れてきた試験方法です。
ひとりの患者において交差を繰り返して比較するという性格上、「N-of-1試験」は慢性で比較的安定な疾患が対象となり、治療効果の開始がすみやかで治療が適切な期間持続するなどの条件がつき、対象は限定されます。この点で大規模なRCTとは棲み分けがあります。
RCTでのエビデンスが確立されないままに、有効として日常的に用いられている医薬品などの再評価などにも役立つとともに、「精密医療 」(Precision Medicine: 個別化医療、層別化医療)の方向とも合致するなど、今後一層の活用が期待される試験方法です。

[文献1] Guyattがn-of-1ランダム化比較試験についてまとめた1990年の文献
Guyatt GH et al. The n-of-1 randomized controlled trial: clinical usefulness. Our three-year experience
(n-of-1 ランダム化比較試験: 臨床的有用性 われわれの3年間の経験) Ann Int Med 1990; 112: 293-9.

実地臨床におけるn-of-1 ランダム化比較試験の実現可能性 (feasibility) と有効性のレビュー。個々の試験は二重遮蔽、ランダム化、多重クロスオーバーで実施。コミュニティ医師とアカデミック医師の要求で設立したn-of-1サービスがすべての試験に関与した。対象は慢性で比較的安定な疾患とした。治療は効果の開始時期が速やかで、アクションの終了と適切な治療持続について知られており現実的な持続のものとした。治療の選択と用量の選択は医師の判断によった。患者の症状は4から7個で、重症度は7ポイントスケールとした。n-of-1試験のインパクトは、医師と患者が協同して行った試験の後に、意図した目的に対し明確な臨床的または統計的回答が得られたかを医師から7ポイントスケールで聴取した。
試験デザインは、アクティブドラッグとプラセボのペア、高用量と低用量のペア、ファーストドラッグと代替ドラッグの組み合わせなどである。投与順はランダム化した。われわれは少なくとも3つの治療が完了することを推奨した。
さまざまな臨床状況で73のn-of-1試験が計画された。開始された70のn-of-1試験のうち、57が完了した。完了しなかった理由は患者または医師のコンプライアンスの悪さ、患者の併発した疾患であった。完了した57のn-of-1試験のうち、50が明確な臨床的または統計学的回答が得られた。われわれはこれらの結果は、実地臨床におけるn-of-1試験の実現可能性と有効性を示していると解釈する。

[文献2]
Guyatt G et al.  The history and development of N-of-1 trials. (N-of-1試験の歴史と発展)
J Roy Soc Med 2017; 110: 330-40.

1676年 最初のクロスオーバー試験 下肢浮腫に対するストッキングの効果 Wiseman R
1984年 adaptive design(適応力のあるデザイン)原理 のN-of-1試験への応用 Baskerville JC
1986年 Guyatt GやSackett DなどカナダのMcMaster大学の臨床研究者たちのグループによる
「最適な治療の決定―個々の患者でのランダム化試験」の論文がニューイングランド医学雑誌(NEJM)に掲載。彼らはこの中でそうした研究を「N-of-1 RCT」と命名。
「N-of-1 RCT」は介入原因と効果の基礎を提供できる厳密にコントロールした介入研究としてユニーク。2つまたはそれ以上の治療時期に介入と対照のペア、理想的には患者とヘルスケア提供者の両方に遮蔽した、ひとりの患者での試験に焦点。アウトカムは個々の患者が報告した患者経験。

N-of-1試験が適した対象
介入やその中止に速やかに反応する対象疾患に最適。とりわけ有用なのは患者により反応性が大きく異なる場合。例としては慢性疼痛や閉塞性肺疾患のような反応の違いが大きい場合や、通常のランダム化比較試験では症状を有する割合が非常に低い場合、通常の試験で参加する患者とは異なる医学的に複雑な患者、長く続く消化障害でのプロトンポンプ阻害剤のような治療に不確実性のある患者に長期に使用する場合など。

N-of-1試験サービス
McMaster大学はN-of-1試験の促進のために、独自のN-of-1試験サービスにとりくみ、また1988年にはそれらの経験から臨床医へのガイドを作成。しかし残念ながらN-of-1試験の実施に臨床コミュニティの関心は大きいと言えず、継続ができていない。米国ワシントン大学のN-of-1臨床サービス、オーストラリアのナショナルN-of-1研究サービスも一時期のイニシャティブにとどまっている。

医薬品開発とN-of-1試験
N-of-1試験は医薬品開発にも有用と考えている。理由は医薬品コストの高さ。費用のかかる大規模なRCTの前にN-of-1試験を行うことが、1) 有効性の早期評価を助ける、2) 伝統的なやり方よりもずっと安価、3) 反応の予測因子を同定できる。しかし、医薬品開発への応用の試みは散発的で成功していない。

実地臨床の革新とN-of-1試験
N-of-1試験が速やかに実地臨床の革新につながるという早期の期待はうまくいっていない。散発的な成功例はあるが、臨床医はN-of-1試験をめったに使わなく、またほとんどの医師がN-of-1試験について知らないままであるのが現実である。

直面する課題と今後の方向
Oxford EBMセンターはN-of-1試験をRCTのシステマティックレビューと肩を並べる「レベル1」のエビデンスに分類している。RCTメタアナリシスにN-of-1データを含めることはポピュレーションでの治療効果の精密さを改善し、治療効果のよりパワフルで信頼できる評価を可能とする豊かなデータソースになると思われる。この例は伝統的なランダム化比較試験の一定のエビデンスがある条件のもとでも、 N-of-1試験が妥当性をもつことに焦点をあてた。
カナダのAlberta大学グループは、N-of-1試験報告の質の改善とともに、試験登録にN-of-1試験プロトコールを含めることの推進を意図し、試験報告時のチェックリストとしてCONSORTのN-of-1試験用拡張版 (CENT) を作成した。またSPIRITのN-of-1試験用拡張版 (SPENT)を作成した。
また日常のRCTのclinicaltrials.gov への電子登録と同様に、N-of-1試験でも電子登録を行うようにしていくことが課題である。
N-of-1試験は、それまで得られた情報を最大限活用できる柔軟な学習能力のあるベイズ統計学の方法と adaptive design (適応力のあるデザイン)を統合して、方法論の進歩が治療効果推定へのN-of-1原則の最適使用を促進すると期待される。
また、N-of-1試験は、population の平均への最良のものを評価する RCTと異なり、個々の患者に最良のものが何かを評価する。N-of-1試験は患者個人を対象としたケアへのエビデンスに基づくアプローチを提供することによって、患者中心の研究の発展をサポートする。N-of-1試験は、ケアの向上に役立つ可能性をもつ「ビッグデータ」の出現とともに、どのようにケアを改善させるか学ぶ機会を提供できる。N-of-1試験には、標準的試験を実施する研究努力として、また研究設定の外で臨床ケアを改善する戦略として、その両面でそれぞれ将来性がある。

例会のディスカッションでは、個々の患者を重視する方向はいいのではないかと合意した。N-of-1試験のアウトカムは患者や医師の主観的アウトカムだけでなく臨床検査値などの客観的指標は用いられないのかという質問がだされた。これについては臨床マーカーの使用も可能である。また、伝統的なRCTではフィッシャーなどの推計統計学を重視してきたが、新しい情報を得たら今までの考えを修正して新しい考えをもつという人間の考え方にも似た「ベイズ統計学」(ベイズは人名で英国の数学者・牧師のThomas Bayes 1702-1761に由来)の考え方についても、更に知識を深める必要性があるとも話合われた。

薬剤師 寺岡章雄