写真家飛田晋秀氏と髙松勇医師によるダブル講演会報告(NEWS No.523 p06)

1月27日、阿倍野市民学習センターに福島県三春町在住の飛田晋秀さんとDr高松をお迎えして講演会を開催しました。
飛田氏は、大阪に着いた途端、開口一番、空気が軽く美味しいとおっしゃいました。 それほど違うのかと感じました。飛田さんはいわゆる報道写真家ではなく、職人さんの真剣な眼差し発信する写真家で「三春の職人」は国会図書館にも永久保存されています。被災地の撮影をするキッカケは、事故直後、近所の女の子を車に乗せていた時、「おじちゃん、私、お嫁に行けるの?」と言う言葉に声が詰まり、ただ一言「ごめんね」とただ一言応えるのが精一杯でした、と声を詰まらせながらおっしゃったのが印象的でした。女の子の一言が、シャッターを押させる事にした。そして① 事故を風化させない  ② ありのままの状況を世界中に発信し続けるという思いから、震災直後から帰還困難区域を含む各地域に入り、8年経つ今も撮影を続けておられます。

主な写真は
① 双葉町の「原子力明るい未来のエネルギー」の巨大な横断看板===国にとって都合が悪いので撤退された。

② 大熊町の双葉病院 避難場所を探している間、やっと見つかった体育館で下車する時、車内で既に数名死亡。 体育館は布団等なく0℃近い床にごろ寝。一年後に全員死亡。

③ 大熊町のタイベックを着用しての墓参風景。(但しタイベックを着用しても放射線の防護にはならない)2014年3月の線量は8.47μSv/h

④ 飯舘村の広大な仮置場枚、時系列で4枚フレコンは破れていて300m程離れた所で2.03μSv/h

⑤ 富岡町の観光名所「夜ノ森の桜並木」2015年満開時一時、通り抜けが出来ませんでした。 しかし、根元は除染しているのに3.30μSv/h

⑥ 富岡町の道路脇、大林組の除染完了のコーンが置かれている。念の為に計ってみると3.17μSv/h。来場者、え~~つと驚きの声。飛田さん曰く、ゼネコンの教育が全く出来ていないし、検査もなく支払われている。

⑦フレコンの保管状況数種類(破れて草木が生えている。水没している)フレコンの耐用年数は3年。 破れた物は新しい物に詰め替えてここでも税金の無駄遣い。

⑧ 飯舘村の焼却場 環境省が胸を張って99%除去出来ると胸を張っていたバグフィルター。300m離れた所で樹木が真っ白で2.09μSv/h 各地でも同様です。

⑨ 南相馬市鉄山ダム周辺、92.0μSv/h 2016年5月今でも30μSv/hはある。皆さん絶句!

⑩ 南相馬のガードマンの詰所 (側が鉛) 製。しかしガードマンは外でタイベックなしでガードしている。 何の為の鉛小屋があるのか?。(爆)

⑪飯舘村の103mSv/h

⑫ 首長で唯一、帰還困難区域に入られた嘉田元滋賀県知事。

他、津波で壊滅した地域、野生化した猪(多くは交配でイノブタ)豚は年に数回出産するので、今は猪天国になっている。その猪を捕まえて孫に食べさせる。山菜を食べる。そして子供達は内部被曝を起こす。悪循環の繰り返しで将来が心配です。高松先生のお話でもあった様に甲状腺ガン以外にも心臓疾患や脳障害の方々が多い。喪服姿も多く見られる様になったと衝撃的なお話に会場は静まり返った。
最後に飛田さんが、福一のすぐ近くの常磐線が、五輪の前2020年に全通させて、原発事故が無かった事にされ、政府主導で風化が加速されて行くのが懸念される。関西の方々も是非支援していただきたいとおっしゃって終わりました。
飛び入りで元京大名誉教授の山田さんに、トリチウムの危険性の説明をしていただき感謝です。来場者は38名。来場者の中から同志社大の方がおられ、7月大学に飛田さんを招聘する。また堺市の方から医問研の先生の講演と写真展を開催したいとの申し出があり、成功裏に終わりました。

滝本 健