第15回避難者こども健康相談会おおさか・セミナー報告(NEWS No.525 p01)

4月28日ドーンセンター(大阪市・中央区)にて「原発事故後8年 福島は・避難者は?そして『控訴審』に向けての思い」と題して、福島県から避難された福島敦子氏に講演して頂きました。

2011年3月11日の東日本大震災により福島第一原発の炉心溶融事故が起き、同原発1号機原子炉建屋が爆発した12日に福島氏は家族と共に南相馬市から川俣町へ避難、その後福島市を経て「小学2年生と4年生の娘たちに学校へ休ませないで行かせたい」との思いで同年4月2日に京都府木津川市へ再避難。そして今度は国・県が避難者への「みなし仮設住宅」の無償提供を2017年3月末で打ち切る政策をとったため、京田辺市への転居を強いられました。

セミナーでの福島氏のプロフィールには「現在、大飯原発差止京都訴訟世話人、原発賠償京都訴訟原告団共同代表を務める。放射性物質撒き散らし事件による健康問題や住宅問題などで闘う中、疲弊し、声も出せなくなっている人が増える福島県内外でさらに声をあげる。」との紹介があります。福島氏は40枚を超えるスライドを用意して講演を進められました。

まず事故後の福島と避難者について、3点を提示。
① 2011年7月、当時「緊急時避難準備区域内」であった「相馬野馬追」で有名な南相馬市石神地区から出荷された肉用牛から暫定基準値(500Bq/kg)を超えるセシウムが検出されました。農林水産省や福島県は、「4月初旬に水田にあった稲わらを給与していたことを確認」したとして、牛の内部被曝を「えさの管理の在り方」での肥育農家の「自己責任」としました。国・東電の原発事故責任を不問にして、避難指示区域外からの避難者を「自主避難者」との呼び名を押し付けるのと同じく、事故直後から行政府に貫く自己責任論を痛感させられます。
② 2016年環境省は原発事故に伴う汚染土壌の処分について、8000Bq/kg以下の土壌は農地や道路の整備に使うとしました。この政策は汚染列島化を目指しているとも言えます。
(福島県二本松市と南相馬市での再生利用実証事業計画がありましたが、二本松市では住民の反対により計画は頓挫しています。)
南相馬市小高区では、常磐道4車線化工事に汚染土壌を使う計画があり、福島氏は環境省による住民説明会を紹介。「子どもが小さく土遊びを行うが、土壌の線量は安全といえる水準なのか」に対して環境省は「土壌は測っていないが、心配な場合は個別に相談に応じる」との回答。子どもの安全を守るという行政の責務を忘れた、他人事の回答に驚きます。
③ 区域外避難者への唯一の援助策と言える、災害救助法に基づいての「みなし仮設住宅」の一年毎の無償提供を福島県は2017年3月で打ち切り、国は帰還を強いる政策を推し進めています。京都府は本年3月末で打ち切り。桜の季節3月30日、府内最大の受け入れ先であった桃山の国家公務員宿舎での「お別れ会」の写真説明もありました。(47都道府県の中で、唯一、愛媛県のみが2020年3月末まで継続)

このような政策と並行して原発再稼働が進められるなか、福島氏は2013年9月から原発賠償訴訟原告団(57世帯174名)共同代表の任を執り続けられています。’18年3月の京都地裁判決は原発事故への国・東電の責任を認め、避難指示区域外からの避難の相当性を認定しましたが、法定被ばく限度(1mSv/年)を避難の基準にはしない、避難の相当性を’12年4月1日までの避難に限定、賠償期間を避難開始から2年間に限定、賠償額があまりにも低額などで、原告全員が大阪高裁に控訴しました。次回の控訴審(6月13日)の傍聴席を満杯にしましょう!

注記:6/13期日は終了しています。今後の予定については原発賠償訴訟京都原告団を支援する会webサイトをごらんください。 http://fukushimakyoto.namaste.jp/shien_kyoto