いちどくを この本『健康診断は受けてはいけない』(NEWS No.529 p08)

『健康診断は受けてはいけない』
近藤誠 著
文春新書 740円+税
2017年2月発行

著者は1996年上梓の「患者よ、がんと闘うな」(文藝春秋)を始めとして、日本の医療に対する批判的視点を多くの疫学的データとともに市民に発信されて来ました。
2017年発行の本書について書評を書くには辛いものがありました。自分がいかに「テンプラ医者」だったかを再三、認識させられたからです。医問研ニュースの読者の皆様は「テンプラ医者」の意味をお察しになるとは思いますが、改めて本書第8章「温故知新―検査機器とクスリに頼る日本の医者」を読んで頂ければと思います。
また第9章「検診を宣伝する者たち」の最終項「地獄への道は善意で敷きつめられている」の最後に書かれた「医療に関しては、無知にもとづく善意ほど厄介かつ危険なものはないのです」には、「参りました!」と消え入りたい気分になりました。

毎年送付される「特定健診のお知らせ」封筒には、「生活習慣病の予防のための8,000円相当の健診が無料で受診できます!」「年に1回だけのチャンス!」と宣伝があります。また「市民だより」には、各種のがん検診の紹介記事が受けて当然のように掲載されています。
私も勤務先での職員健診に続いて退職後も、健康診断やがん検診は時間を取られるし面倒、でも受けたほうが安心できるかなぁなんて思って2~3回受けました。
しかし医問研活動に参加する中で「過剰診断(H.G.ウェルチ著・北澤京子訳)」という著書があるように、徐々に健診やがん検診の有効性に疑問を感じるようになりました。本書のなかにも「医療には、安心を追い求めると、医者の術中にはまって不安になるという逆説があります」との記述があります。
ちなみに著者は慶応大に在職中の40年以上、健診は「うけたら健康になるとか、寿命がのびるというデータがないから」と病院執行部に伝えて受けなかったとのことです。
本書の中には、恥ずかしながらビックリさせられる内容が一杯でした。

*日本人は、健康診断やがん検診に関して“井の中のかわず”状態。(欧米では、がん検診を否定する大きな潮流が生まれている)
「なぜこれまで一度も、がん検診による救命が示されていないのか」と題する論文(BMJ 2016;352:h6080)があり、がん検診のbenchmark(判断の基準)は総死亡数の減少にするべきと主張しています。
*欧米諸国には職場の健康診断の制度も、人間ドックも存在しない。(寿命をのばす、というデータが得られなかったから)
これらの記述の根拠となる具体的なデータを著者は列挙していきます。しかし日本では職場健診や検診事業の有効性を「比較試験」で確かめることなく導入・継続されているため、欧米での比較試験結果の提示となります。
また著者は、がん死亡率については年齢別死亡率や年齢調整死亡率で考えるように読者に注意しています。

*健診を受ける人と受けない人、どちらが長生き?……欧米での14の比較試験(計18万人対象)では、心臓血管病やがんによる死亡数、総死亡数などに違いは無し。(健診は無効で無意味であることの決定的な証拠です。)
*治療を受ける人と受けない人、どちらが長生き?……フィンランドでの「生活習慣病の危険因子を持つ元気な男性に医療介入する比較試験」では、15年後の総死亡数は介入群のほうが46%多かった。(健康な人たちを医療の対象とするのは有害無益という結論です。)

超音波(エコー)装置やCT装置そして脳ドックでのMRIなど、診断技術の発達により、過剰診断(「決して症状がでたり、そのために死んだりしない人を、『病気だ』診断すること」)によって過剰治療への道筋が広がります。
発見数は増加したけれど死亡数は減少しなかった米国での腎臓がん、韓国での甲状腺がんのデータが図示されています。
肺がんについては、米国とチェコでの比較試験が紹介されます。検診群の発見数は増えるものの肺がん死亡数は減らなかったため、欧米諸国では肺がん検診は実施されていません。
胃がん・前立腺がん・乳がん・卵巣がん・大腸がんでの比較試験結果も提示されています。

著者は「“健康”というのは、元気で体調がよく、ご飯が美味しくて、日常の生活動作に不自由がないときです」と述べます。健診によって過剰診断→過剰治療→総死亡率上昇がデータとして明らかにされているからこそ、「受けてはいけない」のタイトルになったのでは?と考えました。

伊集院