臨床薬理研・懇話会9月例会報告(NEWS No.530 p03)

臨床薬理研・懇話会9月例会報告
シリーズ「臨床薬理論文を批判的に読む」第50回
COPD治療吸入剤チオトロピウム吸入ミストインへラーの安全性

今回取り上げるのは「常用承認量でも死亡リスクが増加する」という目を惹く内容の、COPD(慢性閉塞性肺疾患)治療吸入剤チオトロピウム吸入ミストインへラー(抗コリン作用性長時間作用性吸入気管支拡張剤・スピリーバレスピマット)の、システマティック(網羅的)レビュー&メタ分析の論文です(Singh S, Furberg CD at al. BMJ 2011; 342: d3215)。なお、metaには「より高次の」の意味があり、メタ分析はより高次の分析といった意味あいで、信頼しうる内容の複数の論文を統合して分析します。

2011年という少々前の論文なので、最初にプレスクリール・インターナショナル誌2016年のCOPD治療についてのレビュー( 36(392):435-43)の記載をみておきます。

「mild COPDの治療文献はほとんどなく、喫煙などの刺激物を除くことがアウトカムを改善する唯一の手段である。COPDに用いられる医薬品の効果は限られたものであり、主に症状に対する効果である。短時間作用性β2作動吸入剤がまず用いられ、長時間作用性β2作動吸入剤に置き換えられる。サルメテロールとホルモテロールの2つの長時間作用性β2作動吸入剤は症状のある患者で広く評価されており、moderateからsevere COPDにおいて、無治療と比較して呼吸の喘ぎや急性増悪を減じる。β2作動吸入剤は時に心血管系異常をもたらすが臨床試験で死亡の増加は報告されていない。効果が短期間しかない場合は、抗コリン作用性長時間作用性気管支拡張剤チオトロピウムの使用が考慮される。短時間作用性抗コリン剤イプラトロピウムがCOPD症状を改善するという文献はほとんどなく、死亡を増加させるリスクも除外できない。チオトロピウムは呼吸困難や急性増悪を減じるなどCOPDの症候に有効である。しかし、12000例以上の患者を含む7つのRCTにおいてβ2作動吸入剤に勝る明確な有効性を示さなかった。安全性面ではチオトロピウムには他の抗コリン性吸入剤と同様、心血管、視覚、口腔異常を含む害作用がある。イプラトロピウムとチオトロピウムによる死亡増加は臨床試験で明らかになっていないが、その可能性については心にとめておかねばならない。抗コリン剤とβ2作動吸入剤の併用は患者の7-10%において症候を改善する」

ベーリンガーインゲルハイムが開発したチオトロピウム吸入剤スピリーバには2つの剤型があります。粉末剤の吸入用カプセル(専用の吸入用器具ハンディへラーを使用)と液剤レスピマット(専用の吸入用器具ソフトミストインヘラーを使用)です。添付文書には「本剤は維持療法に用いる薬剤で、急性症状の緩解を目的とした薬剤ではない」との効能・効果に関連する使用上の注意があります。
2001年に欧州で吸入カプセルとミスト吸入製剤が、2004年に米国・日本で吸入カプセル製剤が販売されました。その後米国などで吸入カプセル製剤の安全性、とりわけ脳卒中、心血管イベント、死亡が問題となりました。2008年に今回と同じ著者たちがチオトロピウムの心血管リスクについての17のRCTのメタ分析論文をJAMA誌に発表しました。2010年にFDAのMicheleたちは「チオトロピウムの安全性―FDAの結論」の論文をNEJM誌に掲載、大規模なUPLIFTトライアルの結果で心血管リスクは認められないと反論しました。2011年に今回のミスト吸入製剤の安全性についてのメタ分析の論文がだされました。2013年にWiseたちがミスト製剤の安全性は粉末吸入製剤に劣らないというRCTの結果をNEJM誌に発表、FDAは2014年にミスト吸入製剤を承認しました。

今回のミスト製剤の長期使用での死亡リスクに関するシステマティックレビューとメタ分析の論文は、ミスト製剤とプラセボを並行群間比較、治療期間は30日以上、死亡に対するデータが報告されている5つのRCTが対象です。メタ分析は固定効果モデルで推定、異質性はI2統計量で評価しています。ミスト製剤は1次アウトカムの全死亡リスクを有意に増加しました(90/3686 vs47/2836; 相対リスク1.52 (95%信頼区間1.06-2.16); P=0.02; I2=0%)。5㎍用量を1年間用いた際に死亡を1件増加させるNNT(治療必要数)は、124 (52-5682)と推定されました。この結果は規制当局の安全性懸念を説明し、死亡リスクの52%増加を示すとしています。2次アウトカムの心血管系の原因による死亡(心筋梗塞・脳卒中・心臓死・突然死)も有意でした。筆者たちは、医師は処方に際して患者にこのことを情報提供すべきで、とりわけ心血管疾患を持つ可能性のある患者に対してはその必要があるとしています。

ベーリンガーインゲルハイムはその後、2013年にミスト製剤の安全性は粉末製剤に劣るものでないとするTIOSPIR RCT の結果をNEJM誌(369:1491-501)に発表しています。この論文を検討すると次の問題点があります。

1) この研究の対象となったのは、過去6か月に心筋梗塞を発症した人や、心不全で入院した人、過去12か月以内に治療を要する不整脈を有していた人などを除外したCOPD患者であり、心血管ハイリスク患者は対象外です。
2)この試験はプラセボを置かないミスト製剤と粉末製剤のRCTで、非劣性試験のマージンは1.25と大きく、試験の結果、死亡に対する相対危険と信頼区間は0.96 (0.84-1.09) でした。ミスト製剤は100の死亡を109に増やすかもしれません。

なお、今一つ問題としたいのは同じベーリンガーインゲルハイムなのに添付文書での情報提供が各国で違うことです。英国や米国の添付文書は、長期間投与でミスト製剤と粉末吸入製剤の安全性に差異があるとの指摘に関連した記載があります。ところが日本の添付文書は、チオトロピウムについての一般的な記載として「心不全、心房細動、期外収縮の患者、又はそれらの既往歴のある患者に慎重投与」、重大な副作用に「心不全(頻度不明)、心房細動(頻度不明)、期外収縮(1%未満)が発現することがあるので、異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと」と書かれているのみです。

薬剤師 寺岡章雄