いちどくを この本『なぜ、人は操られ支配されるのか』(NEWS No.531 p05)

『なぜ、人は操られ支配されるのか』
西田 公昭 著
さくら舎 1500円+税
2019年9月発行
実は「支配する/される」の関係は、国家や政治体制、経済的な支配だけでなく、職場や仲間内、家族間にもある。力関係で下位の者が上位の者の意のままにされて、自分の意見や疑問を言うこともできず、自分で行動を決めることができないとなると「支配する/される」の関係になっている。心を操作されるのは、悲しいことや苦しいことがあって心が弱っていたり、不安だったりする時だ。そして心を支配され、操られる危険性は誰にでもある。
人は線引きしたがる。線引きして自分をどこかのグループに入れると「内」のグループと「外」のグループができる。所属集団があることで自分自身の安心感が得られ、一人ではできないことが集団ではできて強くなれる。「内集団」を高く評価し、「外集団」を低く評価しようとする心理は「敵」をつくるために利用される。線引きの基準は自分と集団だけの正義なのだが、深化すると「外集団」を、自分たちの命や財産を脅かす存在に仕立て上げる。行きつくと戦争が勃発する。イラクを「悪の枢軸」と呼んで米国が侵略を正当化したのが端的な例だ。

「いじめ」の問題を線引きという視点で見ると、いじめられる相応な理由があるのではなく、単にグループから線を引かれて外側に追いやられたという解釈になる。線引きに絶対的な正しさはなく、集団の力関係は突然変化する。従って道徳教育は無意味である。

人は線引きして内と外を分けたがるが、分けすぎると、分断、対立、不寛容につながる。また分類して楽になると自己の判断の放棄にもつながり、支配されやすくなる。

人間にはもともとなにかを信じたい気持ちが備わっている。本来の意味ではカルトは「比較的少人数で何かを信じている信者グループ」を意味するが、カルトは「こうしたら幸せになれる」という条件を示す一方で、「無視したり従わなかったりしたら地獄に堕ちる」と脅し、不幸をダシに縛る。

騙しのテクニックとして、五感やビリーフ(自分が正しいと信じていること)、あるいはその両方を操作して人の思考を操る。入信して間もない信者が神秘体験して、周囲の先輩信者たちが支持したらビリーフは堅くなる。人間の思考や意思決定は自由意志だけで決めているのではなく「状況の力」が働いている。不安をあおるテクニックや権威づけも騙しによく利用される。また人間は自分以外の全員が同じ行動をとっている場に放り込まれると、「変だ」と思いながらも周囲と同じ行動をとる傾向がある。集団心理を持続させるために、ターゲットを外部の情報から隔絶して閉鎖空間に入れることもある。

社会全体が不安化につつまれると、その不安に応える、あるいはつけ込むような勢力や思想が登場して人々を支配する。不安定な状況に耐えられないとき、人は絶対的な支配を求めることがある。なにかにすがって楽になりたいと思う。いわゆる全体主義・独裁は意思決定が早く、ある程度効果はあげることから、不安から脱出したい人には魅力的に映る。いまの日本は生きるうえでの道標がない状態なので、政治も含めて詐欺や騙しが横行する。支配されることで楽になる代わりに自由を失う。

本書では支配から自分を守る10の方法が提示されているが、根幹は自分で考える姿勢を放棄しないことだ。迷いや悩みを受容し、曖昧な事態への寛容さを育み、能動的に意思決定する体験を重ねることが回り道であっても騙しや支配に対抗する力となることを教えてくれていると感じた。

いわくら病院 梅田