母里啓子氏の突然の逝去を悼む─遺志を継ぎ予防接種の科学的施策の推進を(NEWS No.555 p01)

2021年10月、ワクチン被害者やワクチントークを支え、今も新型コロナに対する「タネまきトーク」も支えている一人である母里啓子(もりひろこ)氏が突然逝去された。

医問研も20年来教えをいただいてきた立場から哀悼の意を表するとともに、コロナ禍を利用した非科学的な予防接種政策拡大による被害を防ぐためにも、一部ではあるが氏の功績を紹介し、私たちの活動の中で継承したいと考える。

母里氏はウィルス学を学んだ研究者であったが、ワクチン製造過程に接するなかで、不純物の混入したワクチンを在庫処理のため放置使用した上司の方針に衝撃を受けたという。また、種々ワクチンの強制接種被害に触れる中でワクチンに対する疑問を持つようになったという。

私たち医問研は1990年代MMRワクチンによる無菌性髄膜炎問題を通じたワクチントークとのコンタクトから母里氏との交流が始まった。

母里氏の功績の一つにいわゆる1987年のインフルエンザワクチンについての前橋レポートがある。1970年までに多くのワクチン被害者が発生した。インフルエンザワクチンもその一つである。多くの被害報告を背景に、「インフルエンザは小児にとって軽いが流行は大きい。一方高齢者は重症化する。小児の感染を防げば高齢者の重症化を防げる」という3段論法に基づきインフルエンザワクチンは1979年以降集団接種が義務化されていたが、学童のインフルエンザ集団接種が無効であることをデータで示したレポートである。このレポートや高橋晄正氏らの論説、被害者の運動をバックに1987年集団接種は中止となった。

もう一つ、母里氏の功績について、1994年小児医学雑誌に投稿された「予防接種被害とその対策」と題した論文を紹介したい。70年代から予防接種被害と訴訟が相次ぎ、約20年後の1992年の結審で国家責任が認められ、1993年には被害認定は2000例を超え、1994年には予防接種法が改訂され義務接種は中止となった。この論文はこういった経過を東京、大阪、東海、九州の集団訴訟についての143例の具体的な被害内容とともに紹介したものである。予防接種被害の具体的な実態に触れたこの論文が多くの小児科医に与えたインパクトは大きかった。それにとどまらず、母里氏はこの論文の中で副作用サーベイランスシステムの充実と可視化、健康被害への迅速な対応を訴えた。

その後の母里氏の活動もワクチントークに集う方々とともに、肩肘を張らずに全国の予防接種被害者を軸に、養護教員、医療関係者らとともにあった。

氏はコロナ問題にも携わっている。氏の抱えてきた宿題はコロナ禍の渦中での大きな現代的な予防接種の課題として私たちの眼前にある。氏の遺志を継ぎ、医問研も新型コロナ対応に象徴され、今のインフルエンザやHPVワクチンにも続く非科学的行政への批判を強め科学的施策を推進する所存である。