臨床薬理研・懇話会2021年12月例会報告(NEWS No.556 p02)

シリーズ「臨床薬理論文を批判的に読む」
第69回 診療の場でのRCT実施に伴う倫理的課題

人類が経験したことのない深刻なCOVID-19の真っただ中でグローバル化が否応なしに進み、RCT (ランダム化臨床試験)のあり方が根本的に問われている昨今です。

今回取り上げる文献は、2003年にNEJM誌に掲載された今ではクラシックとも言い得る文献で、比較的最近の文献に引用されていたものです。ここで書かれている問題はいずれも現在に続いています。COVID-19のもとでの混乱の中、重要性を増している重篤な患者におけるethical clarity (倫理的な明快さ) の重要性も、端緒的ではありますが強調されています。

Miller FK & Rosenstein DL. The therapeutic orientation to clinical trials (臨床試験における治療的志向) NEJM 2003; 348(14): 1383-1386

著者たちは米国NIH(国立衛生研究所)の所属で、謝辞でEzekiel Emanuel (医療倫理学、ペンシルベニア大) への恩義が述べられています。

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この論文の目的

われわれは臨床試験における治療的志向が、臨床研究と診療との倫理的に重要な違いをあいまいにする問題と取り組む。この違いをあいまいにする結果、インフォームドコンセントを妨げ、また臨床研究に適切な医師のプロフェッショナルとしての誠実さ・完全性 (professional integrity) の概念の発展を妨げる。臨床医療 (clinical medicine) は個々の患者に最適のケアを提供するのが目的である。一方、臨床研究は一般化が可能な知識を生み出すために科学的な疑問に応えるのが使命である。臨床試験と標準的な診療との違いはしばしば指摘される。しかしそれらの倫理的な重要性は十分に理解されているとは言い難い。われわれは臨床試験における治療的志向について論じた後で、この観点に付随する倫理問題について記載し、それらを克服する示唆を提供する。

臨床試験と医師・患者関係

臨床試験は診療の場で行われる。それらは製薬企業がスポンサーの臨床試験の場でもある。白衣を着た医師による標準的なケアに用いられる場所での臨床試験は、個別の医療ケアと臨床試験との違いの理解を困難にする(「治療との誤解」:

therapeutic misconception)。研究施設もしばしば両者の違いをあいまいにする。

両者の違いをあいまいにする倫理的思考として、「臨床的均衡」( clinical equipoise; Friedman)の原則があり、研究者・医師と被験者・患者の関係において、科学実験を正当化するのに引き合いに出されている。評価される実験治療と対照治療とを比較した際の治療メリットが不確かの場合にのみ、臨床試験が倫理的とする。ただしFriedmanは個々の医師の判断でなく、医学界(医師集団)の判断が必要としている。しかし臨床的均衡の想定は研究者に治療義務を負わせる点で、研究と治療の異なる文脈を取り違えており、研究者側の「治療との誤解」を生みだすもととなる。

生命医学医療に適用される善行 (beneficence) と無危害 (nonmaleficence) の原則は医師に個々の患者を助け、患者が不釣り合いなリスクを負わせないよう指示する。臨床研究においては、善行は主に将来の患者が健康で安全なこと (well-being) を促進することに関係しており、無危害は研究参加者が将来の患者と社会の利益のためにさらされるリスクに制限を課す。

臨床試験における治療的志向は、インフォーム

ドコンセントを困難にし、exploitation (研究参加者の利己的利用) につながりやすい。研究者の心理 (minds) における臨床試験と患者ケアのあいまいさは、科学の追求と研究参加者の保護との間に存在する利益相反から注意を逸らせる。また研究者のprofessional integrityのセンスの発展を妨げる。integrity (誠実さ・完全性) は信念と行為の一貫性を含んでいる。科学の追求での患者・被験者との連携関係を築くには、医師・研究者の側での臨床試験についての「治療との誤解」に対抗する積極的な努力が求められる。

臨床試験における治療的志向の克服

われわれは医師・研究者と患者・被験者との関係をどのように考えたらよいのだろうか。研究者と健康なボランティアとの関係を吟味することが、モデルの発展にヒントを与えてくれるかもしれない。健康なボランティアは治療の必要な患者ではないので、研究者は健康なボランティアに参加へのインセンティブとしてしばしば金銭の支払いをする。

臨床研究に参加する患者ボランティアへの金銭の支払いは普通に行われることではない。臨床試験では、実験的治療がベネフィットをもたらす見通しと付随的な (ancillary) 医療ケアの提供が試験参加への代償とみなされている。さらに患者に金銭を支払うことは不適切と信じられている。

それにもかかわらず日常の臨床研究でボランティアの患者・被験者に適度な (moderate)金銭の支払いをすることは、考慮される価値があるだろう。なぜならそのことがこの活動 (臨床研究) は臨床ケア (clinical care) とは異なることを象徴的に示しているからである。Dickert とGrady は患者・被験者への支払いは「治療との誤解」を放逐する援けとなる可能性があると述べている。

とりわけ重篤な患者を対象とした研究では、医師・研究者は科学的な研究に従事すると同時に適切なmedical attention (医療措置、治療)とケアを提供する責任がある。研究者のintegrity (誠実さ・完全性)は患者・被験者への介入が患者ケアと研究のどちらを目的としたものかを識別するために患者・被験者へのそれぞれの介入を評価することを彼らに要求する。

倫理的に不適切な治療志向を助長する臨床状況と心理社会的な力を考慮すると、被験者との関係において倫理的な明快さ (ethical clarity) を達成することは、困難な課題である。しかし、倫理的な明快さは臨床試験におけるフロフェッショナルとしての誠実さ・完全性が要求するものである。

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この論文がもつ意義

1. 論文に書かれている問題は、現在に続いており、さらには改善でなく悪化の方向にあるものもあります。この論文は倫理的問題を整理する助けとなります。

2. 著者たちは、臨床試験における治療的志向を克服する手段として、研究参加者への過度にならない謝金の支払いを重視し提案しています。また研究と診療とを区別しながらもそれらが同じ専門職が行う上で求められるプロフェッショナル像 (キーワードは integrity, ethical clarity) の確立を提起していることは重要です。

3. 著者たちが端緒的にふれている緊急事態での重篤な患者に関係する問題はCOVID-19のもとで重要性を増しています。非常に混乱した状況にありますが、それらが倫理的な明快さ (ethical clarity) を持って解決の方向に向かうことを祈ります。

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当日のディスカッションから

患者・被験者への謝礼の支払いの現況がどうなのかが話題となりました。参加されていた薬学の臨床系教員の話では、病院にいたときは謝礼でなく交通費の名目で支出されていたとのこと。これを含め現在の病院での実情把握の必要性が出されました。研究と診療の担当者を全く分離して考えるのは適当でなく、研究倫理を包み込んだ形での専門職倫理の構築が求められています。これはパーソンズが1960年代に提起した医師の診療、研究、教育の3機能を含みこんだ形の「専門職複合体論」の発展で今もその具体化が課題です。

薬剤師 寺岡章雄