団結まつり報告(NEWS No.567 p07)

すがすがしい秋晴れとなった扇町公園(大阪市)で、「カジノ・戦争・改憲・原発 今すぐ止めよう! 市民の力で命と生活をまもろう10.30団結まつり」が開催されました。

私が初めて、娘を連れて「団結まつり」に参加したのは1989年でした。その頃の団結まつりには、多数の職員の自殺をももたらした国鉄民営化に反対し解雇された国労(国鉄労働組合)闘争団が北海道や九州からも参加されていました。不当解雇撤回を目指す闘いへの支援を訴えておられ、各地の海産物や畜産品販売の模擬店もずらりと並んでいました。生活を支える事業団を結成した北海道・音威子府闘争団作成の木製品(筆立て、写真立て、ティッシュペーパー箱)は今も愛用しています。常勤医師として働くことにこだわっていた私は、国労闘争団を支援する職場有志の集まり「まくらぎ(枕木)の会」に参加し支援の物品販売やカンパ活動を続けることになったのでした。

団結まつりには、人権・平和、「命と生活」を守る様々な取り組みを続けておられる方々が集います。ステージでは、参集された方々自らの思い・主張の訴えに活動報告、「月桃の花歌舞団」による歌や踊り、広場では模擬店やバザー、飲食を共にしながらの交流もある中で、様々な困難を排しながらも共に頑張る元気を共有する場になっているように、長年の参加の中で私は感じています。天候に恵まれない時や2020年からのコロナ禍の中でも中断・中止することなく、まつりを最後まで続けられていることに主催者ZENKO(全交:平和と民主主義をめざす全国交歓会)の強い志が現れています。

いつ頃からか政党(社民党・共産党)からの挨拶やメッセージが寄せられ、また辺野古新基地建設に反対する沖縄の人々や解雇撤回を闘う韓国の労働組合の参加も実現するようになりました。そして今年は、21万筆を超える署名を集めた「カジノ住民投票の直接請求運動」を担った方々、「ZHAP(ZENKO辺野古反基地プロジェクト)運動」に賛同する米国DSA(アメリカ民主主義的社会主義者)メンバーの参加がありました。

今年のまつり【交流の広場では五つのテーマがありました。①「日米の市民で辺野古新基地を止める展望」、②韓国「希望連帯労組との交流」、③飛田晋秀さん「福島写真展」&交流(主催:関電前プロジェクト、うつくしま☆ふくしまin京都)、④「松井市長に提言を出した久保校長がどうして『文書訓告』⁉ 教育の『非人間化』を食い止め『人間としての教育』を!」、⑤「介護労働者の交流」

私は、③に参加しました。

30年以上も「日本の職人さんの撮影を専門とするプロ・カメラマン」である飛田晋秀氏(福島県田村郡三春町出身)が、福島原発事故後2012年1月末以降「帰還困難区域」や政府が「避難解除」とアピールしても主な住民は高齢者と原発作業員だけの「旧・避難指示区域」を140回も訪れ撮影を続けることになった「キッカケ」については、医問研ニュース2019年3月号 滝本健氏による「写真家 飛田晋秀氏と高松勇医師によるダブル講演会報告」を医問研ホームページでご覧下さい。

飛田氏はまつり前日(10月29日)、神戸大で「避難解除へ突き進む帰還困難区域の現実~国民の視野から消された恐るべき高線量下の生活(主催:低線量被ばく問題研究会)」と題して講演されています。日本各地での写真展や講演会で「行政やマスコミが伝えない原発事故の姿」を私たち、次の世代に伝えるために尽力されています。

福島原発事故で放出された放射線量は広島型原爆の168発分とのこと。被災地の現実を伝える飛田氏のお話には「マイクロシーベルト」が再三、出てきます。線量計が示した数値です。4兆円を超える除染効果の有無を「μSv/h」の数値の変遷で検証されています。年間被ばく線量は1mSv/年(0.114μSv/h)がインプットされている頭の中に一桁、二桁多い数値を聞いて、住民や原発作業員の内部被ばくをも考えると絶句してしまいます。

原発賠償京都訴訟原告団と関西訴訟原告団の方々の参加もあり、裁判傍聴や署名活動などの支援要請のアピールもされました。

老朽原発の稼働を60年に延長とか、新設するとか、原子力緊急事態宣言下であっても、避難者を被告にして避難住宅から追い出す裁判を始めるとか・・・。市民が力を合わせて命を守りたい思いを発していく必要性を痛感しました。

飛田氏の写真集「福島の記憶 3.11で止まった町」(旬報社)を是非ご覧下さい。

(小児科医 伊集院真知子)