“食”の問題シリーズその②〜「種子の支配」についての歴史的経緯〜緑の革命からGMO革命まで〜(NEWS No.574 p07)

先日紹介した「緑の革命」は、画期的な高収量ハイブリッド品種の開発により一時的には確かに収量を増やしたものの、除草剤・農薬・水・化学肥料が大量に必要だったために、農業従事者に健康被害をもたらしたばかりか、深刻な土壌・地下水・海洋汚染を引き起こし、生態系にも多大な悪影響を与えたことを述べました。そして、実はこの裏では、ロックフェラー財団などから豊富な資金提供があったことを指摘しましたが、「緑の革命」にはさらに大きなアジェンダがありました。それは、一言で言えば「種子の支配」です。

「緑の革命」でばら撒かれたハイブリッド品種の特徴として、「再生能力を欠いている」ということがあります。自然環境で受粉した種子は、本来は親と同じだけの繁殖能力を持っているはずですが、ハイブリッド品種の種子は、第二世代以降に収量が格段に落ちることがわかっています。つまり、農家は高い収穫量を維持するためにも毎年種子を購入する必要があったのです。このハイブリッド品種を開発したモンサントなどアグリバイオ多国籍企業は親株を徹底管理してきたので、他競合者や農家も勝手に交配品種を作成することは不可能でした。このように、「緑の革命」におけるハイブリッド品種の開発は、一握りの企業に種子の販売・管理を独占させることに成功し、そのビジネス戦略の構築は、「種子の支配」への大きな第一歩だったと言えるでしょう

その後、1980年に米国で成立した悪名高き「バイ・ドール法」によって、大学の研究者は税金で開発資金を賄いつつ、自分達が開発した製品に関して特許を取得することができるようになりました。この頃から、「種子の支配」をたくらむ支配層の思惑と共に、ビッグファーマや多国籍バイオ企業のアグリスーティカル・ビジネスがさらに加速していくことになります。また、同年に米国最高裁が初めて人造生物に対する特許を認める判決を下し(“チャクラバーティ・ダイヤモンド事件”)、1985年には“ヒバード見解”(詳細は割愛)により「米国特許審査委員会(Board of Patent Appeals)」が植物に対する特許権認定をルール上認め、翌年1986年には初めて培養組織・種子・組織培養を通じて作られたトウモロコシ全体に対する特許権が与えられました。この(生物)特許に関する一連の流れは、後々のGM種子革命に繋がるエポックメイキングなできごとだったと言えるでしょう。このようなお膳立てがあったからこそ、デュポン、モンサント、バイエル、シンジェンダといったアグリスーティカル多国籍企業が、我先にとバイオテクノロジー研究に巨額の資金を注ぎ込み、GM種子の開発を推し進めていくことができたのです。しかし、彼らのやってきたことは、自然環境における生命体を私企業が独占し私物化する「生物資源の盗賊行為(バイオパイラシー)」に他なりません。

それ以降水を得た魚のごとく、アグリバイオ多国籍企業は自分達にとって莫大な利益を生み出す遺伝子組み換え技術を、「大規模農業に膨大な利用価値をもたらす」という話にすり替え、特許を取得し文字通りやりたい放題やってきたということは皆さんもご存知の通りです。例えば悪名高きモンサント社は、除草剤(ラウンドアップ)に抵抗性のGM種子(ラウンドアップ・レディー)を開発し、種子と除草剤の販売を同時に手掛けることで、二重の儲けを得ることとなりました。また、モンサント社は各国政府にロビー活動を行い、GM種子やGM食品を渋る国に対して、国連で決議できない場合はWTOを利用し、それでも行き詰まる場合はFTAを使って、2国間協議で交渉して輸入させるということを実際にやってきました。さらに被災国や発展途上国には、国連を用いて「食糧援助」という名の下に自分達が開発したGM食品を押し付けてきました。しかし、その食品としての安全性や生態系に与える影響などについての懸念はいまだに払拭されておらず、各方面から危険性を訴える声や反対の声が挙がっています。

以上のように、ロックフェラー財団が主導した「緑の革命」以降の食糧ビジネスの歴史を紐解いていくと、「種子の支配」による「農民支配」、さらには「食糧支配」から「人民支配」へと魔の手が着実に進んでいるように思えます。それに対抗するために我々にできることは一体何か?その答えも徐々にこの連載で示していくことができればと思っています。次回からはGMOについて、少し深ぼってみていきたいと思います。

医療法人聖仁会松本医院 院長 松本有史