診断閾下の発達障害~発達障害グレーゾーンという概念の意義と危険性について(NEWS No.580 p06)

第119回日本精神神経学会学術総会の上記シンポジウムに参加した中から得た知見や所感を述べる。DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)から発達障害の診断基準が狭小となり、自閉特性があっても一部にしか医学的診断が適用されなくなり、特性によって生活障害が生じる成人は医療・福祉・教育上の理解や支援が受けられない状況も生まれている。一方で、治療がうまくいかないときや依存の問題があるときに「発達障害のせい」とされることもあり、過剰診断によって症状や状況の悪化を招いていることも見られる。発達特性で困っているがDSM-5では診断がつけられない人たち(最近では「発達障害グレーゾーン」と捉えられる人たち)のケアをどうするか、また、どうやって過剰診断を防ぐのかという2点が臨床上の大きな問題となっている。

「職場のうつ」におけるグレーゾーンは職場の精神保健上の重大なテーマである。「発達障害要素がほとんど関係しないうつ病による機能障害」群、「診断閾下ながら発達特性によって『当たり前のことができない』といった困難からうつ状態を呈している“濃いグレーゾーンの適応障害”群」、「診断閾下の発達障害であるが、発達特性による困難そのものよりも不安が機能障害やうつ状態を引き起こしている“うすいグレーゾーンの不安による過活動後の疲弊”群」の3群の弁別が肝要である。特に第3群は再休職を繰り返しやすいとされ、事例性を帯びた時に疾病性の評価や不安を減らす試みが必要となる。

成人期発症ADHD(注意欠如多動性障害)をめぐる議論から閾下(あるいはグレーゾ-ン)を再考する。できるだけ既存の用語で説明する、ASD(自閉症スペクトラム)やADHDを論じるときに可能な限りどの特性が強いかを見る、グレーゾーンはエビデンスをもたないといった基本的視点を踏まえることが肝要である。臨床現場では、ADHD診断該当であれば心理検査や環境調整、治療を行うが、非該当であれば放置、経過観察、環境調整などを行う。「閾下」として一括はできず、ケースごとに事例化する対応が求められる。

指定討論では以下の提起があった。「グレーゾーン」=発達障害と職場で理解されて失職になりかねないので不要な診断はしない。遺伝的負因や幼児期の被虐待体験、生育状況、家族との関係なども検討して必要なら治療的配慮を行う慎重さが求められる。

総合討論で特徴的な議論をいくつか挙げる。

幼少期の閾下ケースについては、保護者への支援が必要だが、生活への支障がなければ経過観察する。いじめや不登校の問題が出ることもあるので希望があれば検診的な受診も検討する。小児の精神科では、診断を伝えるときには「現時点での」と限定しておく。

本来は発達障害の診断は発達特性を捉えて必要な支援を行うためのものであるはずだ。治療や支援の視点のない診断は単なる分類であり、有害無益だ。現状では学校でも職場でも発達障害を理由に排除が行われている。さらにグレーゾーンを概念化することで排除の圧力が強まることが危惧される。エビデンスのないグレーゾ-ン概念を用いることへの警告と受け取った。

[本稿における用語について: DSM-5では発達障害は神経発達障害/神経発達症として定義し直され、障害概念も拡張されている。神経発達症は、知的能力障害(以前の精神遅滞)、自閉スペクトラム症(同、自閉症スペクトラム障害ASD)、注意欠如・多動症(同、注意欠如多動性障害ADHD)、コミュニケーション症群、限局性学習症(同、学習障害)、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれる。

日本では知的障害者福祉法により知的障害が公的支援の対象として明記。「知的障害を伴わない発達障害」に対しては、発達障害者支援法が「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠如多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」を発達障害と定義。福祉や教育では発達障害者支援法の条文をもって発達障害の定義とする立場がある。医療とは定義が異なり、福祉・教育と医療との行き違いの一因となっている。さらに、成人を診る精神科医と児童思春期精神科医、発達障害も診る小児科医との間でも視点の差異はあると思われる。なお、DSM-5の日本語版では障害という用語を避けて「症」と表記することを基本としているが、本稿ではあえて従来の「障害」と表記する]

精神科医 梅田